GS進学教室
ネット選挙の恐ろしさ<その2>
- 2013年7月26日 12:09 AM
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そういう意味では、大勝した自民党も含めて、既存政党はネット選挙の影響を過小評価しすぎていたのだと思います。はっきり言って、舐めていて対策が甘かったということです。
候補者個人で言うと、それこそネットやSNSを自分で使ったことがないというレベルの方も少なくありません。(報道番組の特集で、初めてメールを使ったお爺ちゃん候補者の様子を見ましたが、ちょっとほのぼのとしてしまいました)
そっち方面に造詣が深くても、大政党に所属していると、なかなか自分だけ「抜け駆け」することができないこともあると思います。次回からは、政党としてもう少しきちんと対策を立ててくると思いますが、今回の山本さんのようなレベルで徹底できるかというと、甚だ疑問です。20万人のフォロワーは簡単に作れないでしょうし…
考えてみたら、この現象は選挙だけのことではないのだと改めて感じます。今の世の中、ネットを味方につけられるかどうかはとても大きいのです。I T業界やゲーム業界等、直接それを仕事にしている職種はもちろんですが、我々のようなお客様を相手にする仕事(特に信用商売)では、ネットの影響は甚大です。
ホームページがなければ、勝負の土俵にも乗れない時代です。まず最初は、ホームページの情報でじっくり検討するという方の割合は年々増えてきています。フェイスブックやツイッター、ライン等の公式アカウントを持っている企業・お店も増えています。(GSはありません(ーー;)) ブログによって、思いを伝えられるケースも多いでしょう。(これは引き続き頑張ります!)
お客様とのメールでのやり取りも大変重要です。GSもそうですが、ホームページから初動の問合せができる場合が増えています。それに対する対応の上手い下手で、集客は変わってきます。まずはスピード(GSでは必ず24時間以内にフィードバックをしています)、そして誠意ある対応ができるかどうか…
GSでは、小6・中3の受験生のご家庭の保護者とは、メールでつながっています。ご希望の方に登録していだたいて、ご相談等をメールでも受けられるようにしています。こちらから緊急でお伝えしたいことがあって、電話がつながらないような時にも、とても重宝しています。結果として、ほとんどの保護者の方が登録をしていただいています。これも、ネットがここまで普及したからこそできることです。(私がこの仕事を始めた頃には考えられなかったことです)
仕事を離れた個人としても、この時代にネットを使えない(使わない)のでは、確実に損をしていると思います。今後も、どんどん新しいサービスは普及してくるでしょう。一定の取捨選択は必要だと思いますが、そのためにも、まずは積極的に手に取ってみることが必要なのではないでしょうか?
ネット選挙の恐ろしさ<その1>
- 2013年7月25日 12:12 AM
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日曜日の参議院選挙は、大変盛り下がったまま終了しました。今回は、戦前からある程度結果が予測できたことと、政策等の争点がほとんどなかったため、これだけ投票率が低くなったのだと思います。
この投票率の結果から、ネット選挙(運動)解禁の影響はあまりなかったと分析している文章をいくつか目にしまたが、「そんなわけねぇだろ!」と思わず突っ込んでしまいました。私は、当初考えていたよりも、ずっと影響が大きかったと感じています。
一番分かりやすい例が、東京選挙区で当選した山本太郎さんの選挙活動です。おそらく、ネット選挙(運動)が認められていなかったら、当選していなかったと思います。実際、前回の衆議院選でも立候補しましたが、ここまでの勢いはありませんでした。
多少知名度があるとは言っても、政党どころか、きちんとした支援団体もにも所属せずに(何しろ所属団体が「今はひとり」ですから…)、あれだけの票を獲得できたのは、ネットでの選挙運動を最大限に活用したからに他なりません。
なにしろ、ツイッターのフォロワーが20万人以上もいるのです。(他の候補者たちは、多い人でも数千人くらいでした) その中から、ボランティアの選挙スタッフが1200人くらい名乗りを上げ、献身的に選挙運動を手伝いました。普通大きな政党でも都の全域にポスターを貼るのに相当大変な思いをするのですが、山本さんの場合はその人海戦術により、あっという間に貼り終わったそうです。
選挙運動期間も、とにかくネットの強みを最大限に利用しました。どこで演説会をするかの情報がSNSを中心に拡散し、行く先々での集客につなげました。その演説の様子はもちろん、プライベートの部分に至るまで、活動しているいる間はほとんど生で映像が配信されていました。(これらの作業をしていたのもボランティアです) その場所に行かなくても、演説の臨場感がリアルタイムで感じられるのです。
もちろん、演説で聴衆を引きつける力もあったのだと思います。私も何度か動画で見ましたが、政策の中身はともかくとして、話し方や人々の巻き込み方は、勉強になった部分もありました。通りすぎようとするお父さんをつかまえて、「このまま声を上げなくていいんかい!」と締めたりしていました(笑)。
一番影響が大きかったと思うのは、若い人たちを中心に、ラインやツイッターやフェイスブック等のSNSで、「山本さんに投票してね!」という拡散が、大量になされていたことです。政治にあまり興味がなくて、選挙に行くつもりがなかったのに、友だちからそういう「お願い」が来たので、行くことにしたという声を多数聞きました。
(次回に続く…)
都立小学校開校その後<その3>
- 2013年7月24日 12:04 AM
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3つ目は、一部の委員からも発言が出ている通り、小学校低学年の生徒はそんなに遠くへは通えないだろうということです。1校しか開校しないのであれば、例え東京の真ん中あたり(小金井~吉祥寺の間くらいかな?)に作ったとしても、全都から募集するのは無理があると思います。そこで複数開校の案が出てくるわけですが、委員からの発言にも見え隠れしている通り、今まで都がこういう新しいことをやろうとする場合、まずモデル校(はっきり言って実験校です)で試してみて、その成果を見て次を検討するというやり方をやってきました。都立中学校では白鴎中がそうですし、今構想段階の国際バカロレア導入も国際高校1校のみでスタートしようとしています。その考え方で言うと、まずは1校のみのスタートということになるのでしょう。広い範囲から生徒を集めることができないのであれば、都立小学校のメリットが減じてしまうと思うのです。
4つ目、私はこれが一番大きな問題点だと思いますが、教員の配置・確保の問題です。都立中開校の際は、併設の高校で指導している先生が中学生も指導したり、全都の公立中学校で指導している中から優秀な先生を公募したりして対応しました。私が見ている限り、一定教師の質は確保できていると思います。(偉そうですいません…)
しかし、都立小学校をまっさらの状態から開校するとなると話が違ってきます。しかも、最初は1年生だけのスタートとなるのです。その生徒たちのためだけに教師を配置するのもなかなか難しいと思いますし、どういう先生たちが担当するのかも興味深いところです。いわゆる「都立の先生」は、小学生(ましてや1年生)を相手にすることは慣れていないてしょうし、今の学校で優秀な先生であればあるほど、小学校での勤務を希望をしないでしょう。そもそも、教員免許は「小学校」と「中学・高校」ではまったく別のものなので、そこの問題をどう解決するのかも見えてきません。
そうなると、今都内の(市立・区立)小学校で指導している先生の中で優秀な人を選抜してということになるのでしょうが、小学校の先生は、優秀な生徒ばかりを集めたクラスを指導した経験がありません。むしろ、そういう子に照準を合わせた指導をしないようにすることが体に染み込んでしまっている先生が多いのではないでしょうか?
私立小学校や塾から、優秀な先生をヘッドハンティングするくらいの覚悟があればいいのですが、おそらくそんな発想はないと思います。大学院生に(片手間で)指導させるようなことは止めて欲しいと思います。
いずれにしても、都立小学校が成功するかどうかは、初代の校長・副校長も含めた教師の質・レベルで決まるのは間違いないと思います。
都立小学校開校その後<その2>
- 2013年7月23日 12:02 AM
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検討委員会の発言を見ていて、「都立小学校がうまくいく気がしないのはなぜだろう?」と考えてみました。理由が4つ思いあたりました。
1つ目は、12年一貫教育に懸念を感じている委員が多いということです。「ずっといることが不幸だという事例は必ずある」と発言している方がいるくらいですから…
私は、そもそもまだ構想の時点でそんな議論をしているのがおかしいと思います。3年だろうが6年だろうが、合わない生徒は合わないわけで、要は全然ついていけない生徒を抱えてしまった時にどうするのか?という疑問が根底にあるのだと思います。そんな生徒を高校まで(ましてハイレベルの授業を謳っている)無条件で進級を認めるのはまずいだろうということです。
確かに、5歳や6歳の時に入学試験かあるわけですから、どうしてもそういうことは起こるでしょう。私立では原則大学まで保証をしているところが多いのです。例えば、慶應幼稚舎(小学校です)に入学できれば、余程のことがない限り慶応大学に進めるのです。 しかし、その途中過程でドロップアウトする生徒はどこの学校だっているわけで、そのことを今の段階から議論していてどうするのだろうと感じるのです。
2つ目は、「グローバル教育」という言葉に引きずられ過ぎていると感じることです。英語の早期教育や、理数教育の充実がコンセプトにあるのは分かるのですが、はっきり言って、「小学生低学年のうちからそんなこと言ってもねぇ」と感じるのです。基本的な勉強習慣をつけること、読み・書き・計算をしっかりできるようにさせること、様々な科目に対して興味を持って取り組めるようにすることが先決で、今議論されているような抽象的なグローバル教育の話は、その先の話です。
今、日本全体がこの言葉に踊らされている感じがしています。高校生・大学生に対して、グローバル教育の徹底をということが叫ばれていますが、私の目から見ると、その前にやるべきことがあるだろうと思うのです。
「小学校の時から英語を習ってます」という生徒が、どういうわけか中学校に入って、高校受験の段階になると英語で全然点数を取れなくなるケースがあったり、中高一貫校に中学校で入学した生徒が、高校受験で入学してきた生徒に英語の力が全然劣っていたりというケースが少なくありません。そういう生徒たちを見ていると、勉強を舐めているか、勉強への取り組み方が間違っている場合がほとんどです。「早い段階から英語を勉強しているからできるはず」と思い込んでいて、本質的な勉強をしていないのです。
それと同じ匂いを、今のグローバル教育推進の議論に感じてしまうのです。
(次回に続く…)
都立小学校開校その後<その1>
- 2013年7月22日 12:00 AM
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12年間一貫教育の都立小学校の開校が決定し、月に1回のペースで検討委員会が開催されています。しかし、具体的なことは遅々として進んでいない印象を受けます。会議の議題と発言の内容は公開されているので、私は毎月注目して見ているのですが、正直まだ今の時点では何も進展していないに等しいと思います。
先月の検討委員会で出た発言の要旨を以下にまとめてみます。
〇 現在の6-3-3制よりも、3歳から9歳くらいまでを第1段階とし、それから10歳から4年間くらいが第2段階、そして最後に仕上げの段階というほうが、子供の脳の発達から考えると、理にかなっている。
〇理数を中心にするのであれば、創造性を養う必要があるのではないか。
〇国際的なリーダーに必要なのは、創造性と協働である。
〇 生徒は集団生活の中で互いが互いの個性を認めながら、自分の個性を自覚する。グローバルに対応する場合は、自分の個性に自信をもち、それを伸ばしていくことが大事である。
〇日本人としてのアイデンティティというか、日本の歴史や文化もきちんと学ぶ必要があるのではないか。
〇高等学校段階では全ての教育を英語で行うくらいのことが検討できないか。
〇小・中学校から英語教育をしっかり行うべきである。
〇兄弟がいない子供たちを教育するために、異年齢体験を学校内で意図的に体験させていくような集団づくりを行うことには意味がある。
〇12年間の中で上級生が下級生の面倒を見ることは、とても大切である。
〇入学者の決定に当たっては、保護者が納得できるような方法にしなければいけない。
〇この学校において、途中でどうしても合わなくなった児童・生徒の処遇をどうするかについて、きちんと議論しないといけない。
〇この学校に12年間ずっといることが児童・生徒にとって不幸だという事例は必ずあるので、12年間で全く切れ目がないよりも、どこかで分岐点を用意したほうが良い。
〇一度入学したら12年間、全員の面倒を見てほしい。
〇この学校を卒業した直後の進路をどう考えるのか。国内の大学だけではなくて、どんどん海外の大学へも進学するのであれば、この学校の特徴になるのではないか。
〇小学1年生が通うことを考えると、都内に1校で全都から希望者を募れるのか。
〇教員の数を多くできないか。正規教員ではなくても、大学院生を活用するなどの対応もある。
〇都立小中高一貫教育校が1校であれば、そのサービスを受けられる児童・生徒は限られるので、この学校での経験を他の都立学校に展開していくべきではないか。
(次回に続く…)
性差別とジェンダーフリー<その3>
- 2013年7月21日 12:10 AM
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ジェンダーフリーの考え方の基本は、「男は男らしく~するべき、女は女らしく~するべきというようなレッテルを貼らないようにしよう」ということです。根底には、女性差別を撤廃したいという意識が根強くあります。
私は、男女の機会均等の保障や、基本的な人権における性差別の撤廃は推進すべきと思います。しかし、男性・女性のそれぞれの役割は尊重すべきだし、特に子供の時の「らしさ教育」は絶対に必要だと考えています。体力的にも精神的にも差があるのですから、何でもかんでも一緒である必要はないはずです。ましてや、(特に中学生以上において)体育の種目や着替えを同じ場で行う必然性などあるわけがありません。
出席簿の男女混合等、多くの人が納得できるものは今後も進めればいいでしょう。
結局その後、文科省や各教委が、学校現場では「ジェンダーフリー」という言葉を使用しないようにという通達を出したことで、この騒動は一定収束に向かいました。しかし、生徒たちから話を聞くと、今でもその名残りが残っている地域・学校もあるようです。
この教育を受けていた世代は、今の20歳代の若者たちです。(今の22歳~28歳くらいがドンピシャでしょうか?) そう考えると、当時のジェンダーフリー教育が、今の若者たちに何らかの影響を与えていると考えるのが自然なのではないでしょうか? 例えば、男子の草食化とか、(女子も含めて)結婚したくない願望とか…
性差別とジェンダーフリー<その2>
- 2013年7月20日 12:02 AM
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ある中学校で行われたチェックテストを転載しておきます。以下の25項目のうち、自分にあてはまると思う項目の個数を数えてみてください。
1.男性はたくましく、女性は優しいほうがいいと思う。
2.男が泣くのはみっともない。
3.「女らしいきめ細かさ」「男らしく豪快」などの表現は自然である。
4.男の赤ちゃんは青系の服、女の赤ちゃんは赤系の服が似合うと思う。
5.男の子は車や電車、女の子が人形で遊ぶことは普通である。
6.やっぱり、重い物を持つ仕事や、高いところの物を取ったりする仕事は男に任せましょう。
7.年頃になっても外見を気にしない娘は、ちよっと心配になる。
8.男の子が口紅を塗って遊んだりすると、ちょっと心配になる。
9.学校の制服は、男子はズボン、女子はスカートがいい。
10.男子(男性)を「くん」、女子(女性)を「さん」付けで呼んでいる。
11.男性がスーパーで夕食の買い物をしているのを見ると不憫に思う。
12.家族のために、自分が我慢すればいいと思うことがある。
13.仕事を成功させるためには、家庭は二の次になっても仕方がない。
14.料理が得意な女性は、いい奥さんになると思う。
15.家事をしない夫の話を聞くと、「理解のない人だ」と思う。
16.「主人」「奥さん」という言葉に、別に抵抗を感じない。
17.女性も男性も結婚した方がいいと思う。
18.結婚したら、夫婦は同じ名字を名乗ったほうがいい。
19.子供が小さい間は、母親は家にいたほうがいいと思う。
20.妻より収入が少ない夫は頼りにならないと思う。
21.男性のほうが女性より、企画力や決断力に優れていると思う。
22.女性より出世が遅れる男性は男として恥ずかしい。
23.女性も仕事を持つのはいいが、高齢になってずっと一人だと寂しいと思う。
24.お年寄りの面倒を見るのは女性のほうが適していると思う。
25.ひな祭りは女の子、端午の節句は男の子のお祭りで、別に問題はない。
皆さんいくつ当てはまったでしょうか? 私は20個も〇がついてしまいました。ちなみに、15個以上〇がついた人は、「古代人」なのだそうです。「古代人」へのアドバイスの文章も転載しておきます。
「あなたは生きた化石です。固定的な性別役割分業観にとらわれて、窮屈な生き方をしていませんか? 自分の中にある男性中心の考え方に気づきましょう。このままでは、大きなお荷物になりかねません。」
「余計なお世話だ!」という感じですが、最後のひと言がすごいですね。この表現こそ差別・いやいじめでしょう。
ちなみに、〇が6個以下だとまともな人なのだそうです。
「あなたはまさに時代の先駆者です。性別にとらわれず、個性や能力を伸ばし、自分らしく生きることができる頼もしい人です。あなたの考えを周りの人にも波及させましょう。」
こうなると、ほとんど洗脳ですね。(一部の学校・教師であっても)こんな教材を使って学校現場で指導をしていたのですから、ちょっと恐ろしい話です。
(次回に続く…)
性差別とジェンダーフリー<その1>
- 2013年7月19日 12:10 AM
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昨日まで、学校・塾で許されない言葉を取り上げましたが、それと関連してこの数年間の性差別に関する混乱を思い出しました。今はだいぶ落ち着きましたが、1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定されて以降、学校現場で「ジェンダーフリー」という言葉が脚光を浴びるようになりました。市教委や学校(校長)の方針によっても、かなり差がありましたが、学校現場では様々な混乱が起こっていたのです。生徒や保護者から(時には教師からも)、具体的なとまどいの声を聞いたこともありました。
どんなことが起こっていたか、思いつくままに書いてみます。
〇出席簿やゲタ箱等の男女混合表記。
→塾ではもともと名簿で男女を分ける発想がないので、なぜ学校ではこんなことが問題になるのか不思議でしたが、体育の授業の時や身体測定の時などには男女別の名簿が必要だったのでしょう。そういえば、塾でも合宿の部屋割りの時には男女別の名簿が必要でした。
〇全員名前を「さん」づけで名前を呼ぶようになった。
→男子は「くん」、女子は「さん」づけで呼ぶのが通例でしたが、それが男女差別につながるということで、男子も女子も「〇〇さん」と呼ぶよう徹底していた学校は結構ありました。小学生に対して、男子も女子も一人称はすべて「わたくし」にせよという指導をしていた教師もいました。「ぼく」や「わたし」は男女差別だと言うのです。さすがにここまでいくと、「おかしな先生」という見られ方をしていましたが。
〇持ち物の色までうるさく言われた。
→小学校のランドセルの色は、男子→黒、女子→赤というのが定番でしたが、それがけしからんということで、何色でもよくなったり、青や緑などの斬新な色のものが導入されたりしました。筆箱やその他の持ち物も、色で男女が分かれるのはよくないことだと指導されたりしました。
〇体育の授業(種目)を男女混合で行うようになった。
→運動会の種目も男女混合でやるところが増えました。徒競走なども、男女分けずに走っていました。騎馬戦や組体操等を男女混合でやっていた学校も多く、テレビのワイドショー等でも取り上げられていた記憶があります。小学生はともかく、中学生や高校生でも更衣室が男女一緒という学校も結構あったと記憶します。今はほとんどなくなったのではないかと思いますが…
女子のブルマーがなくなったのもこの頃でしょうか? 男女とも同じ「短パン」をはくのが望ましいとされました。制服も一時問題となり、男女で分けるのはいかがなものかという議論もありました。さすがにこれはあまり大きな動きにはなりませんでしたが。
〇学校で役を決める時に、男女別枠か認められなくなった。
学級委員を男女各1名というような形が認められなくなったのです。学芸会の劇でも、明らかに性別がはっきりしている登場人物がいない内容に改められていたりしました。主役が「王子様」あるいは「お姫様」みたいな形はよくないとされたのです。
この問題がさらに発展して、男子校・女子校には進学してはならないというような風潮が強くなっていた時代もありました。
ジェンダーというのは、人間が生まれ持っている体の機能以外の「性差」 「性別分類」のことを指します。ジェンダーは、社会や文化・歴史が作り出したもので、間違った考え方だというのが、当時の基本的スタンスでした。簡単に言うと、「男らしさ」や「女らしさ」という言葉・考え方は、役割の押し付け・差別につながるので、やめるべきだということだったのです。
(次回に続く…)
「子ども」と「子供」<その2>
- 2013年7月18日 12:27 AM
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例えば、「ご父母」や「父母会」という言葉。塾でも何気なく使ってしまっているところもありますが、これは「保護者」「保護者会」が正しい。なぜかと言うと、世の中には父親・母親のどちらかがいない子供(早くも表記を変更しました)も多数いますし、中には両親ともいない子供もいるからです。私の26年間の塾講師生活の中でも、今までに3人そういう生徒を預りました。1人はおばあちゃん、1人は親戚のおばさんが育てられていました。もう1人は孤児施設から通って来ていました。ご父母という表現が不適切であることはご理解いただけると思います。
塾でもひどい講師だと、平気で「ご父兄」という表現を使っていたりします。これはさすがに論外ですね。昔の家父長制の名残りなのですが、現代ではほとんど差別用語の扱いです。
あと、自分のところの生徒のことを指す時に、「生徒さん」と表現してしまう講師も少なくありません。これも間違いなのです。若手の講師に多いのですが、中にはこの道何十年というベテランが使ったりしていて、オイオイと思う時もあります。保護者に対して使う時は、「お子様」で問題ないですね。第三者の方が塾の講師に向かって、「そちらの塾の生徒さんは~」これも問題ありません。常に、その所属する集団の目上の方に対して敬意を表して、「〇〇さん」「〇〇様」となるわけです。自分のところの生徒に向かって、「生徒さん」はおかしいのがご理解いただけるでしょうか? 保護者の方に向けて使う場合も、保護者とって子供は生徒ではないので、「生徒さん」にはならないわけです。
これは教師の世界に限ったことではありませんが、学校や社内の人間を外部の方に紹介する時は、原則呼び捨てにするのがルールです。例えば、社長を平社員が紹介する場合であっても、「社長の〇〇です」と名前の下には敬称をつけずに呼び捨てにしなくてはなりません。会社や組織の中に所属している方にとっては、当然のルールだと思います。しかし、これがどういうわけか、学校現場では(時には塾でも)そうなっていない場合が多いのです。校長等の役職者は当然として、一般の教師たちも当たり前のように「〇〇先生」と紹介されたりしています。生徒たちの前ではまだ理解できるのですが、保護者会等の場ではやはり違和感を感じずにはいられません。
まあ、お互いを「〇〇先生」と呼び合う持ち悪い職場は、学校・塾くらいのものでしょうから、そんな常識を今さら持ち出しても仕方ないのかもしれませんが…
下村大臣の指示は意味が分かりませんでしたが、それに関連して、教師が使ってよい言葉、いけない言葉の再確認をできたので、そういう意味では意味があったのかもしれません。
「子ども」と「子供」<その1>
- 2013年7月17日 12:10 AM
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下村文科大臣から、教委や学校現場におかしな指示が出ました。今後、公文書はすべて「子ども」ではなく「子供」という表記で統一するようにとの内容でした。正直、???という感じです。
今まで、学校現場だけでなく、新聞やテレビのニュースなどでも、「子ども」または「こども」という表記で統一されてきました。供という字が、「お供え物」や「お供する」などを意味していて、従属させるという差別的表記にあたるから使用しないように…というのが通説でした。もちろんそのことに一部異論もあったのですが、公文書は「子ども」で統一されてきた経緯があります。
それに従って私も、塾で配付するの文書やこのブログ等でも、すべて「子ども」という表記をするようにしてきました。ところが、それを今後は「子供」で統一せよというのです。塾は文科省の管轄ではない(経産省です)ので、この指示に従う義務はないのですが、学校現場でそうせよということですから、塾でも追従せざるを得ないと考えています。
しかし、唐突で理由の説明もありませんし、何か釈然としません。確かに、「供」という字が差別表現にあたるという考えもおかしいと思いますが、なぜ今になってその字を使うことを徹底する必要があるのかを知りたいところです。
学校現場では、それ以外にも使用してはならない言葉がいくつかあります。
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