- 2012年8月5日 3:20 PM
- 未分類
たまたま、陸上の為末大選手が、本日付のコラムで同じようなことを書かれているのを先程見つけました。自分が伝えたいこととかなりかぶっているため、引用させていただきます。
(以下引用)今回、特に柔道の選手たちが試合後に、「勝てなくてすいませんでした」とインタビューに答えているのをよく目にした。 日本のお家芸としての期待や、必ず金をとらなければならないという思いから発される言葉なのかもしれないけれど、 そこに僕自身、元選手として複雑な思いを抱いている。 (中略)
人間のモチベーションや創造性というのは、やりたいことをやっている時に最も大きくなる。 気がついたら時間がたっているというような集中を誰もが経験したことがあるだろうけど、 そういうものは決まって自分の好きなことをやりたいようにやっている時に起きる。 反対に義務というのは、単純な作業を繰り返す時にはそれなりに効果があるけれど、 創造性を発揮したりモチベーションを保つ時にはマイナスになったり力みを生む。 今やろうと思っていることを、誰かに命令された途端にやる気がうせた経験はないだろうか。 人は強制されたり義務づけられた時に、やりたいという気持ちから、やるべきという方向に気持ちが変わる。
五輪選手はほっておいても、ただでさえ期待をされる。 それ自体は素晴らしいことなのだけれど、選手本人がその責任を負いすぎたとき、 勝利は義務になり、動きに力みが出る。 普通の種目でもすごい重圧がかかるのだから、ましてやお家芸の柔道選手にかかる期待は計り知れない。
すいませんという言葉の裏には、果たすべき役割を果たしきれなくてすいません、という意味が込められていると思う。 でも、きっと本当はその前に自分自身が悔しいですという思いがあるんだと思う。 何しろここまで頑張ってきたのは他ならぬ自分で、一番勝ちたかったのも他ならぬ自分だからだ。 そして、もう1度挑むにはまた4年間同じ苦しみの中で努力しないといけない。
月並みなことだけれど、選手たちにはどうか自分のために競技をしてほしいと思う。 それが何より国民が望むことだし、そうやってのびのびと競技をすることで十分に責任は果たしているのではないか。 そして皮肉なことに、自分のためにやっていると視点が切り替わった途端に動きが軽くなったりすることは確かにある。 背景はいろいろあるけれど、選手1人1人にとって五輪は誰のものでもなく、 自分のものだという視点で競技を楽しんでほしいと、僕は思う。
<8/5付 nikkan sports com. 「為末大学 オリンピックを考える」 より引用>
受験生にも、まったく同じことが言えると思います。受験勉強は自分のためなんです。両親や周りの協力してくれる人に感謝の気持ちを持った上で、「自分のために」「自分の意志で」取り組んで欲しいと考えています。それができれば、どんなにつらくても、苦しくても、笑顔で取り組めるのではないでしょうか? 。「Goog Smile」の理念も、最終的にはここに行きつくのだと思います。
もちろん、そのためには塾の教師がそれを実践しないといけません。講師たちが「いやいや働いている」「仕事をさせられている」塾に未来はありません
- 新しい: 自叙伝「ちょっと熱く語る」(笑)
- 古い: 笑顔の効用
コメント:0
トラックバック:0
- この記事のトラックバック URL
- https://www.gssk-h.com/blog/wp-trackback.php?p=142
- トラックバックの送信元リスト
- 笑顔の効用2<為末選手のブログより> - GS進学教室 より

