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たまには映画でも…<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年10月19日 7:44 AM
  • 未分類

閑話休題。ちょっと話が逸れました。

で、「君の名は。」の話です。
結論を先に書くと、まだこの映画を観ていない方は、上映期間中にぜひ出かけて欲しいと思います。
この後、「ネタバレ」を含みますので、これから観に行く予定の方は、ここから先は読まないでください。

まずは、映像と音楽がすばらしいです。私は専門的なことはよく分かりませんが、色使いや高い視点からのカットの使い方に特徴があります。特に、空の描き方と光の使い方が印象に残ります。隕石が落ちた村(飛騨高山付近の架空の村)をはじめとして田舎の風景がすばらしいのですが、代々木駅を中心とした都会の様子もとても綺麗です。あの音楽なくしては、この映画のヒットもなかったかもしれないと感じるくらい、音楽が映像とマッチしています。(この音楽を奏でた「RADWIMPS」は、大晦日の紅白への出場が内定したようです)

内容的にもすばらしいことは間違いないのですが、正直私にはこの映画が一番伝えたいメッセージが何なのか理解できませんでした。
高校生~大学生~社会人と成長して行く過程において、運命の人への募る思いが高まって行くのに反して、顔や名前を思い出せなくなって行きます。最近、アルツハイマーや認知症などの脳の病気により、愛する人の顔や名前を思い出せなくなって行くという恐怖・もどかしさを描いた物語がよくありますが、今回はそれとは趣が全く異なります。
人間の運命は、熱い思いと行動力によって変えることができるというメッセージかとも思いました。結果としてはタイムトラベルの形となり、隕石が落ちる前の世界に降り立つことができたのですが、その世界での行動力によって、愛する人たちを含む村の人たちの未来を救う(歴史を変える)ことができたわけです。そこに、婆ちゃんや父親の過去の経験がどう絡んでいたのか(代々の祖先たちにも特殊な能力があったのか)等は、今ひとつ釈然としない部分ではあります。
入れ替わりやタイムトラベルなど、ファンタジーの要素が強いわけですが、「自分の力で未来の運命を切り開く」ということは、1つのメッセージになっていると思います。

もう1つ、赤い組紐の果たす役割が大きいことは間違いありません。冒頭の電車の中の場面で、まだ出会う前の2人が赤い糸でつながっていることが象徴的です。正に運命の赤い糸的な象徴なのだと思います。自分が気付かないところで、実は運命の人と出会っていて、それを掴めた人はその相手の存在に気付くことができるけど、掴めなかった人は永遠にその存在すら認識できずに終わるわけです。私はどちらかと言うと運命論者ではないのですが、この赤い糸伝説については肯定派です。
映画の最後のクライマックスの場面で、2人が東京で数年ぶりに「再会」するのですが、一度はお互いに気付かずに通り過ぎてしまいます。えっ、ここで2人は会えないまま終わってしまうの?と観客をハラハラドギトキさせておいて、最後に2人が振り返って、「君の名は?」と同時に問いかけたところでエンドロールとなります。これにより、何とも言えない余韻を残したまま、観客は席を立つことになるわけです。
もっと言えば、「幸せやチャンスは、自分の手で掴むもので、待っていてもダメだ」ということなのかもしれません。映画を観た後に読んだのですが、このあたりについて新海監督がインタビューで同じようなことをおっしゃっていました。「映画を観てくれた人に、自分は幸せになるんだという熱い思いを持って欲しかった」と。
(次回に続く…)

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