- 2013年1月17日 12:33 PM
- 未分類
昨日届いた、あるメルマガの内容についてです。簡単に要旨をまとめると、以下のようになります。
「月曜に雪が結構積もったため、火曜日の朝も出勤途中の道にはかなり雪が残っていた。しかし、道のところどころで、雪がなくなっているところがあった。日当たりの問題ではなく、誰かが雪かきをしてくれたところとしてくれなかったところの違いだった。みんながもっと気遣いをすれば、もっと快適だったかもしれないのに…」と。
皆さんは、これを読んでどう感じたでしょうか? 私は、正直とても嫌な感じを受けました。善意の押し付けを感じたからです。
私は、たまたま火曜日の午前中時間があったので、家の周辺の雪かきを頑張りました。全部で2時間くらいかかったでしょうか。(うっ、筋肉痛が…) 家が通路の奥まったところにあることもあり、結果として近所の「向こう三軒両隣」の前まで含めて、きれいにしました。近所の方は朝早くから働きに出ていたり、お年寄りしかいなかったりというような状況が分かっていたので、当然だと思いましたし、そのことを気づいて欲しいとか、感謝されたいという気持ちはまったくありませんでした。
もし自分が仕事で夜中に帰ってきて、翌朝一番出かけなければならない状況だったら、あんなにできなかったと思いますし、実際2年前まではそういうことも多く、近所の皆さんにご迷惑をおかけしたこともあったと思います。できる人がやればいいし、誰が自分の家の前の雪かきをしてくれたのかを探し出す必要もないと、私は思います。
しかし、ただ通るだけの道で、ここは雪かきしていないからダメだなぁとか、みんながこの家みたいにきちんと雪かきすれば危なくないのに… とか言い出されると、ちょっと違うぞ、と感じてしまうのです。どうしてもできない事情があったのかもしれませんし、そもそも公道を一般の住民だけで全部きれいにしろというのは、根本的に無理がある発想だと思います。メルマガを書いた方に悪意がないことは重々分かるだけに、何気なく善意を期待してしまい、それがなされないと無意識に評価をしてしまうことの怖さを改めて感じた次第です。
数年前のことになりますが、家や会社に、慈善事業という触れ込みで押し売りが来たことがあります。(施設に入っている恵まれない人たちが頑張って作ったという)靴下とか、ハンカチとかでした。1つ1000円程度だったと記憶していますが、寄付だと考えても買う気にならなかったので断ったら、急に怒り出して、そんな無慈悲なことだとバチがあたるぞみたいな悪態をついて帰りました。何度か来ましたが、すべて30代~40代くらいの「おばさん」でした。
私も、それなりに募金や寄付をしたことはありますし、そういう気持ちを持っているかいないかと言ったら、持っている方だと思います。10月1日などは、あちこちで子どもたちに声をかけられるとつい財布を開いてしまい、襟元が赤い羽根だらけになってしまったこともあります。しかし、それを押し付けられて、募金・寄付をするのは人間として当然だというトーンで迫られると、絶対に1円も払わないぞという感情が湧いてきてしまいます。私があまのじゃくなのでしょうか? あの押し売りに対して、ニコッと笑って数千円を差し出すほど、私は人間ができていません。
ボランティアもそうですが、「善意」というのは、自分の自発的な意志により行われて、初めて意味を持つような気がします。呼びかけをすることは、まったく問題ないと思います。しかし、その善意を押し付けることが「いいこと」だと思い込んでいる人が増えているとしたら、ある意味怖い世の中だと思います。
- 新しい: 受験生の保護者の皆様へ
- 古い: 教育改革続々… でもその前に
コメント:0
トラックバック:0
- この記事のトラックバック URL
- https://www.gssk-h.com/blog/wp-trackback.php?p=708
- トラックバックの送信元リスト
- 善意の押し売りはやめよう - GS進学教室 より

