- 2013年1月12日 11:55 AM
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これだけ問題が大きくなった後でも、当該のバスケ部顧問は、市教委の事情聴取に対して、次のように答えています。「部活を強くするには、体罰は絶対に必要。どうしても指導が入らない時の最後の手段だった。彼(自殺した生徒)には、厳しくしすぎたと思う」と。皆さんは、これを読んでいかがでしょうか? この発言から読み取れることは、教師は(生徒のためにも)良いことだと思って、ある意味確信を持って体罰を行っているということです。この聴取の際は、涙を流し、声を詰まらせながら話をしていたと市教委幹部は言っていますが…
誤解を与えると困るのではっきりさせておきますが、私はこの教師を擁護するつもりもないし、引き起こした結果の重大性から考えると、(社会的な制裁の他に)それなりの責めを追うべきだと考えます。私が伝えたいことは、当該教師(あるいは全国にいる同じような教師)が、なぜこの時代にそんな「信念」を持った指導を継続しているのかという経緯です。
昨日も書きましたが、特にバレーとバスケにそういう指導者が多いのには理由があります。この教師は、日体大の出身で、自分がそういう環境(指導の中での体罰が当たり前)の中で育ってきたことが前提にあるのかもしれませんが、バスケットの指導者としても大阪ではリーダー的存在でしたし、全日本チームのコーチとして海外遠征もしているぐらいですから、日本の中でも、一目置かれる存在だったはずです。ということは、まだそういう指導が全国の標準として認識(看過?)されているということに他なりません。
簡単に言うと、バレーとバスケは特に、昔からそういうタイプの指導者が多かったのです。そして、そういう指導者の高校が強くなり、全国大会上位の常連となっている時代が長かったため、若い世代(今回の教師の世代です)も強くするためにそういう指導を引き継ぎ、真似をし、そして実際にチームを強くしてきたのです。今の40代前半以下の教師では、ちょっと違うタイプの指導者も増えてきました。子どもたちが変わってきたことと、世間の風当たりが強くなってきたこともあり、褒めて伸ばす指導や、若さに任せて教師も一緒に汗を流すような指導が増えてきています。
一昔前までは、全日本や実業団リーグなどでも、その名残が見られました。他の競技に較べると、明らかにこの2つだけは(体罰も含めた)厳しい指導場面を目にする機会が多かったと思います。全日本レベルにも、そういう指導者が多かったからです。思い返せば、「アタックNo.1」や「サインはV」(共にバレーボールアニメです)は、そういう世界を描いたものでしたし、東洋の魔女や男子のミュンヘンでの金メダルも、世界一厳しい指導の賜物だという評価は今も覆りません。バスケも含めて、一部の指導者の中に、厳しい指導をしないと勝てないという「信念」が増幅されてしまっていました。そういう潮流の最下流に、今回の教師の存在と、体罰も含めた指導の継続があったのです。(おそらく、この論調は他で目にすることはないでしょうが…)
今後、文科省が陣頭指揮を取って、教師の体罰撲滅運動が全国に広がっていくと思います。今まで当たり前のように体罰を行っていた現場の教師たちも、今後は自重するでしょう。私も、それは徹底するべきだと思います。しかし、その際に、教育現場で注意しなくてはならないことがいくつかあるのです。
(次回に続く…)
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