- 2015年1月11日 12:03 AM
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前回のブログで、志望の理由や自己PRなどを、「みんなと同じように」つまらない内容で書くことの弊害を指摘しましたが、最近このことを様々な場面で感じます。
GSでは就活塾も運営していますが、真面目な学生ほどこの落とし穴にはまっています。早い段階から自己分析に時間をかけて、小論文や面接の対策もしっかりした(つもりになって)、さていよいよ本格的な対策を塾で始めてみると、これがとんでもないのです。いわゆるマニュアル本の丸暗記で、「自分」というものがまったくなく、当然ちょっと突っ込まれるとボロボロになってしまいますし、とても何十倍の関門を通過できるような状態ではありません。それを一度ぶっつぶして、自分の言葉でありのままを語れるようになってからが、本当の対策のスタートです。話をしている時の、表情とか目力、声のトーンなどもとても重要です。模範解答を丸暗記して棒読みしているようでは、まったく話にならないのです。
都立中の入試では、必ず作文が出題されます。だいたい、入試得点の3割~4割の配点が作文なので、とても比重が大きいのです。特に、適性検査の方が問題が難しすぎて差がつかない中学校が多く、作文の出来・不出来で合否が決まっているような場合も少なくありません。
都立中の先生に伺った話ですが、ここ数年の傾向として、作文であまりにも型にはめすぎていたり、論理も何もないような作文が目立つのだそうです。確かに、少し都立中の勉強をかじっていて、小6の途中から入塾してくるような生徒たちには、ほとんどこの症状が見られます。私はこれを、「なぜならば~だからだ病」と名付けています。まだ論理がきちんとしていればいいのですが、形だそれにはめようとしてしまう作文が多いのです。例えば、「私は筆者の意見に賛成だ。なぜならば、私もそう思うからだ。」とか、「私は~と考える。なぜならば、私が次のような体験をしたからだ。」とか、笑ってしまうようなレベルのことを平気で書く癖がついていたりします。これは一度身についてしまうと、なかなか改善することができません。
もちろん、理由や根拠を説明するのに、「なぜならば~だ」という表現を使わなければいけないというルールはありません。(もちろん、論理がしっかりしていれば、使ってはいけないということではありません) それなのに、まず形をこの形にはめなければいけないと思い込んでいて、論理性をまったく考えていなかったり、「自分の」意見をまったく書こうとしない答案が増えているということです。
このあたりを都立中の側も感じ取っていて、ある中学校の昨年の学校説明会で、「そういう(型にはめすぎた)作文が増えているけど、良い点数はつかない」というようなことをおっしゃっていました。
(次回に続く…)
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