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他人を変えようとするな!<その3>
- 2024年3月23日 12:21 AM
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「他人が変わらないことは何となく分かった。じゃあこの状況を打破するためにはどうしたらいいんだ?」という声が聞こえて来るようです。結論は簡単です。自分が変わればいいんです。他人は変えられないけど、自分は変えられますから。
自分を変えると言った時には、大きく2つの意味合いがあります。1つは、相手との距離感や関係を意識して大きく変えることです。なるべく会わないように距離を置くようにするか(普段あまり会わないような友人ならこれができますね)、逆に相手の懐に飛び込んでしまって、徹底的に自分からコミュニケーションを取るようにして、一気に距離を縮めてしまうかです。相手が自分が思うようなことをやってくれない時に、先回りして自分がやってしまうとか、自分から相談を持ちかけるとか… 苦手だと思っていた人とも、1度距離が縮まると、とても良い関係になるケースは多いと思います。
もう1つは、自分の受け取り方・感じ方を変えることです。相手や相手との関係性が変わらなくても、1つひとつの事象の捉え方を変えるだけで、イライラしたりストレスを感じたりせずに接することができるようになります。これができるようになるためには、相当に「修業」が必要です。でも、相手の本質を変えようとするよりは、かなり容易いミッションです。自分だけの問題になるからです。
私が敬愛する塾講師に、木下晴弘さんという方がいます。私と同世代なのですが、浜学園→希学園で灘中・灘高クラスのトップ講師(算数・数学担当)と役員を務め、今は「アビリティトレーニング」という研修会社を運営しながら、書籍を多数出版したりと精力的に活動されています。私は書籍をすべて拝読していますし、研修も何度か受講し、メールのやり取りをさせていただいたりしています。その木下先生がよくおっしゃるのは、「自分が源泉」という言葉です。これもまた木下先生の師匠である鈴木博さんという方から叩き込まれた考え方なのだそうですが… 簡単に言うと、自分の周りに起こることのすべてを、自分に源泉があるという捉え方をして行けば、対処もスピーディにできて解決できる場合が多くなるし、ストレスも軽減できるという考え方です。もっと分かりやすく翻訳してしまうと、「あらゆることを他人事にせず、自分事として向き合うようにすること」となるでしょうか。様々なことを自分事にしてしまうと、やるべきことも増えてしまい、大変になるように感じる方が多いと思います。それが違うんです。私も実践していますが、とても楽になるんです。待っていないで自分から能動的に関われるようになり、自分の力で問題を解決できることが増えるからです。この考え方が身につけば、「他人が変わってくれない」などと考えることはほとんどなくなります。
このテーマについて書き出したら、かなり長くなってしまいました。(本当は本が1冊書けるくらいの内容なのですが…) 特に、家族や学校・職場の人間関係で悩んでいる方は、ぜひ考え方を取り入れてみてください。毎日の生活がとても楽になると思います。
他人を変えようとするな!<その2>
- 2024年3月22日 12:14 AM
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「くれない族」の皆さんに共通するのは、他人を変えようとしていることです。「もっとこうしてほしい」とか、「こういうことをしないでほしい」とか、「不十分なところを改善してほしい」とか… 最終的には自分にとって心地いい人に変わってほしいという思いが根底にあり、ある時は直接・間接に相手伝え、ある時は伝えられず誰かに愚痴をこぼし…ということを繰り返しています。残念ながら、人の本質はそう簡単には変わりません。これが60年近く生きて来た私の結論です。いくら相手を変えようとしても変わらないのですから、ストレスは溜まる一方です。
もちろん、短期的には変わる場合が多いです。真剣に思いを伝えたり(逆に言えばちょっと伝えたくらいではほとんど変わらないということです)、人生観を変えるくらいの研修に参加したりすれば、短期的には劇的に変わったように見える場合もあります。しかし、早ければ数週間、普通は数ヵ月経つと、だいたい元に戻ってしまいます。人間が何十年も生きて来て、身に付いた価値観・意識・行動習慣・言動を変えることはそれほど難しいのです。
そういう意味で言えば、子どもは本質から変えられる場合が多いです。今までの人生経験も少ないですし、まだ自我やが確立していない段階なら、十分に可能です。(私の感覚だと、中1・中2くらいまでが1つのリミットです。中3の受験期や高校生以上になると、なかなか難しくなります) ただし、1つ条件があります。「親も意識と行動を改めること」です。何だかんだ言って、子どもの意識・行動は親の影響がとても大きいです。子どもが変わろうと思っても、親の関わり・家庭環境が変わらないと、難しい場合が多いのです。
社会に出てから、特に30代後半~40代になってしまうと、なかなか本質を変えようとしても難しいですね。良いも悪いも、意識や習慣が染み付いてしまっていて、頑固になり、変化を恐れ、基本人の話を聞かなくなります。カウンセリング的な言い方をすると、「相手の立場や人間関係によっては、しっかり話は聞くけど、心で聴かなくなる」という感じでしょうか。頭では理解しても、それがなかなか行動変化に繋がらないのです。
皆さんの中でも、「あの人は何度言っても変わらないんだよな…」というストレスを日々感じている方がいるかもしれません。友人や職場の同僚なら(いずれ離れるので)まだ救いがあるのですが、身近な家族にそういう思いを感じながら生活して行くのはとても辛いですよね… 「人の本質はそう簡単には変わらない」ということを理解しているだけでも、だいぶ生きるのが楽になるはずです。
(次回に続く…)
他人を変えようとするな!<その1>
- 2024年3月21日 12:14 PM
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私が仏教を学んでいることに起因していると思いますが、最近のブログの「人生観」に関する記事に対する保護者の方からの反応が多くなっています。今までのリアクションは、受験や子育てに関してのものが中心だったので、子どもに関することが多かったのですが、最近は保護者の方がご自身の人生を見つめ直す時間を取っていただくきっかけになっている場合があるようです。仏教を学んだ教えを多くの方に広めること、仏教の考え方を通して1人でも多くの方を幸せに導くことが、私が仏教を学んでいる動機の1つなので、こういう反応をいただくことはとても嬉しいです。
昨日の記事について、「先生は、誰々が~してくれないと感じることはないのですか?」という質問を、お2人の方からいただきました。「偉そうなことを書いているけど、お前はどうなんだ…?」と感じている方がいるということを改めて認識しました(苦笑)。それがですね… 私はまったくないんです。「誰かが何かをしてくれないから…」とか、「何で自分だけ…」というような被害者意識のような気持ちを持ったことはありません。保護者のお1人から、「いやぁ、それはすごい! 人間ができている」という最大限の褒め言葉をいただきましたが、自分で改めて何でだろう…と自問自答して分かりました。実は逆なんです。人間ができているどころではなく、皆さんに責められても仕方ないのです。
誤解を恐れずに言えば、私は「他人に期待していない」のだと思います。なので、してもらえればラッキー・ありがとうということにはなりますが、してくれないからと言って、そのことで自分の心が乱されることはありません。前職の会社で鍛えられたのだと思いますが、「最後のところは、人に任せず自分でやる」という習性が染み付いてしまっていて、それが当たり前の感覚になっているので、今でもどんなに大変な状況になっても、被害者意識を感じることはないのです。仕事上はもちろんですが、子育てや家事についても同様です。世間の方からは「パパがそんなに献身的なのはすごいね」とか、「4人の子育てを(一時的にでも)ワンオペで回していて、溜まっていないの?」と言われることが多いです。先日、私と妻の両方の昔からの知り合いであるGSの保護者の方から、「夫婦関係大丈夫?」とまで言われました(笑)。全然大丈夫なのですが、その根底にもこの感覚があるのだと思います。妻や子どもたちのことは愛していますし、本質的な部分では期待もしていますが、だからこそ(?)、「ギブ」に対して「テイク」を求める感覚がないのです。そういう意味で、「期待していない」ということです。だから、妻や子どもたちからたまにテイクがあると、とても嬉しいです(苦笑)。
もちろん、GSの講師たちのことは信頼していますし、期待もしています。塾講師としての経験と力量は、近隣他塾と較べてもらっちゃ困るレベルです。その講師たちが献身的に頑張ってくれているのですから、塾としてうまく行かない訳がありません。それは、この間の難関校の合格率や、生徒増が証明しているはずです。ただし、経営者である自分と同じ感覚で仕事に臨めと言っても、それは無理な話でしょう。いくら言葉を尽くしても、どうしても伝わらないレベルのことはあります。とても分かりやすく言えば、今はGSの「運営」は校長以下の皆さんにだいぶ任せていますが、今すぐ会社の「経営」を誰かに任せられるかと言えば、残念ながら(まだ)Noです。絶対に自分が目を切ってはいけないところ、直接関わらなければいけないところはまだまだあります。それを、「何で自分と同じレベルで働いてくれないんだ?」「何でそんなことで自分の手を煩わせるんだ?」とイライラしてしまうのは、経営者のエゴでしかありません。
生徒や保護者の方に対しては、ちょっと意味合いが違って来ますが、本質的な部分では同じです。私は生徒たちのことは、「信頼」はしても「信用」はしていません。成績を上げて成長させるために、様々言葉を尽くして働きかけますが、最初から10のうち10できた生徒は、今まで指導した数千人の生徒の中でも、ほとんどいませんでした。7~8できればOK!くらいのところから指導は始まります。(3~4くらいしかできない生徒も少なくありません) それを、100%期待して、その都度「何で全部できないんだ?」「何で言ったことをやってくれないんだ?」とやっていたら、生徒もこちらも不幸になってしまいます。ただし、昨年度の受験生でもいましたが、1年間で偏差値を15も20も上げて、奇跡の合格を掴むような生徒は、最後には10のうち10どころか、12も15もこなせるようになる(指示したり与えたりしていないレベルのことまで自発的にできるようになる)ケースが多いことも申し添えておきます。
(次回に続く…)
「くれない族」になるな!
- 2024年3月20日 10:06 AM
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先日のブログで、感謝の第1段階は「何かをしてもらった時に感じる気持ち」だということを書きましたが、実はここに大きな落とし穴があります。最初は本当にありがたいと感じて、心から感謝の気持ちを持つのですが、それが日常的に続いて行くと、「してもらって当たり前」になってしまい、次第に感謝の気持ちが薄れて行く場合があります。さらにそれが続くと「何でしてくれないんだろう…」となり、最後には相手に対して恨みの感情を持ってしまうこともあるのです。特に、家族・恋人や親しい友人・同じ職場の人等、距離が近い人間関係の間で起こりやすいと言われているので、注意してください。家事や育児等を一手に引き受けているママ(時にはパパ)、何でも相談に乗ってくれる先生や上司・友人等に対して、「してもらって(時間を取ってもらって)当たり前」という感覚があるとしたら黄色信号です。
私が今まで出会った多くの人たち(大人も子どもも)の中で、「ちょっと不幸な生き方をしているなぁ…」と感じてしまった人は少なくありません。いろんなケースがあるのですが、一番多いのは「くれない族」の皆さんです。(皆さんは「くれない族の反乱」のドラマを知っている世代でしょうか?) 私が「くれない族」と呼んでいるのは、何か困ったこと嫌なことが起こった時に、すぐに他責にしてしまう人たちです。「誰々が~してくれない」というのが口癖です。その背景には、「自分はしてもらって当然」「自分が望むことをしてくれないのは相手が悪い」「自分が幸せになれないのは世の中のせい、誰かのせい」というような心理があります。私が感じているのは、これらの人たちはみんな自分に自信がなく、自己肯定感が低いということです。幸せになれないのを誰かのせいにしていれば自分の心が守られるので、なかなか抜け出すことができません。
幼稚園や小学校の先生とお話していて愕然としたのは、「うちの子のしつけがなっていないのは先生のせいです。もっとしっかり指導してください」というようなことを平然と言う親が結構いるのだそうです。「それは親の役目だろ!」と思うようなことでも、自分の責任は棚上げして先生を責めるような言い方をするのだそうです。GSにはほとんどいませんが、「塾に通っていて成績が上がらないのは、先生のせい、塾のせい」というようなことをあからさまに言うような保護者もいるという話を聞いたことがあります。究極的には塾にも責任がある場合もあると思いますが、だいたいそういう家庭の生徒に限って、やるべきことはやらない、様々なことが他人事になっている場合が多いのだそうです。それで成績が上がる訳がありません。
大人がそうだと、当然子どもにもそういう考えが染み付いてしまいます。自分が失敗した時に、「先生が〇〇してくれないから」とか、「友だちに〇〇されたから」と、誰かの責任にする癖がついてしまっている場合があります。「親に怒られたくない」という心理がはたらいていることも多いようです。この子どもたちの癖は、周りの大人が早い段階で修正してあげないと、将来社会に出た時にとても困ることになります。
とにかく、自分が失敗して落ち込んだり、何か不満を感じたりした時に、「自分が「くれない族」思考になっていないか?」という意識は、常に持っておいてほしいと思います。保護者の皆様には、「我が子がそうなっていないか?」という視点も。
感謝の三段階<その2>
- 2024年3月19日 10:54 AM
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感謝の最終段階は、自分にとって困難なことや災難が振りかかった時に、それに対しても感謝の思いを持てるかどうかです。自分に危害を加えて来るような他人に対しても、感謝の気持ちを持って接することができるようになるレベルです。
これも仏教の教えの中で学んだことなのですが、私は人間ができていないので(苦笑)、最初はどういう意味か分かりませんでしたし、「さすがにそれは無理っしょ」と感じていました。しかし、様々書物を読み、話を聞く中で、何となく理解ができて来たような気がします。人生の中で大きな困難に直面しているその時に、「これはありがたい…」と考えることはなかなか難しいと思います。後になって、「あの時の困難が自分を成長させてくれた」「あんなことがあったから、今の幸せがある」と考えて、(その当時は不幸のどん底だと思っていた)過去の出来事に対して感謝の思いを持てるようにすることがとても重要なのだと思います。
私の人生を振り返っても、とてもしんどいことと、それに起因する幸せなことが交互にやって来ているように思います。「あの不幸がなかったら、今の幸せはない」と感じることが結構あるのです。
例えば、13年ほど前に、私は前職の会社で取締役を拝命しました。責任も大きく大変ではありましたが、一生会社に骨を埋める覚悟を決めて、ある意味希望に燃えていました。しかし、その数ヵ月後に母親が倒れて、介護が必要な状態となりました。それまで10年以上、母1人子1人で暮らしていたので、私が面倒を見るしかありません。結局、25年間勤めた会社を退職することになりました。「今まで頑張って来たことを評価いただいて、さぁこれから!というタイミングで、どうしてこうなってしまうのだろう…」と自分の運命を嘆きましたし、しばらくハローワークに通いながら、母親を病院や施設に連れ歩く毎日で、正直「何で自分はこんなことをしているんだろう…」と考えてしまったこともありました。しかし、その後母親が運良く完全看護の施設に入ることができ(1年後くらいに亡くなりました)、自分でも寝耳に水の話で結婚することになり(真面目に交際0日婚です。2人とも無職の時に結婚しました)、それからGSを立ち上げ(12年間右肩上がりで来られています)、最初の2年間不妊で悩んだのが嘘のように子どもが4人立て続けに生まれて来て… 今の幸せがあります。もちろん、前職でお世話になった皆さん、GSのスタッフや関わってくれた方々、生徒たち、保護者の方、地域の皆さん、妻と子どもたち、それ以外の身内、いろんな方への感謝の思いがありますが、1つ言えることは、あの時母親が倒れていなければ、会社を辞めていなければ、GSはこの世に存在していませんし、私は結婚していないだろうということです。(もちろん子どもも生まれていません…) あの頃は不幸のどん底のような気がしていましたが、今になってみると、本当に様々なことに感謝しかありません。そういうことなのだと思います。
私は2年前に大きな病気をして、(ちょっと大袈裟に言うと)死にかけましたが、今はすっかり元気になって、日常生活に支障がないところまで戻りました。きっと、このことも10年くらい経ったら、「あの時に大きな病気をして、それを乗り越えたから今の幸せがある」と感謝できる時が来るのだと思います。少なくとも、そう考えて前向きに生きて行くことが、とても大切なことなのだと感じています。
感謝の三段階<その1>
- 2024年3月18日 8:20 AM
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皆さんは、周りの人や様々な物に対して感謝も思いを持っているでしょうか? それを意識して伝えているでしょうか? 人はもちろんですが、自分の体や物に対しても感謝の思いを伝えることの重要性は、先日のブログでも書いた通りです。
感謝には、3つの段階があると言われています。1つは、誰かに何かをしてもらった時にする感謝。特に自分が困っている時に受けた恩に対して。これはほとんどの人が強く感じる思いのはずです。
2つ目は、存在そのものに対する感謝。家族に対して、生まれてくれてありがとう、いつも一緒にいてくれてありがとう。自分の体に対して、健康で動いてくれてありがとう。というような思いです。これは少し意識しないと、気付かないケースが多いので注意してください。夫婦や親子の間で、日常的にこういう思いを伝え合えている家族の絆は強いです。きっと今後も幸せな家庭を築いて行けるでしょう。
さて、3つ目の段階の感謝が想像つくでしょうか? 皆さんも、ちょっと考えてみていただきたいと思います。
(次回に続く)
「キッザニア」に行って来ました!
- 2024年3月17日 8:59 PM
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本日、「キッザニア」に行って来ました。と言ってもお台場に行って来た訳ではなく、北口のオクトーレで開催された八王子版の「キッザニア」です。市の子ども家庭部と児童館(今は「子ども若者育成支援センター」という名称に変更になっています)が主催している、職業体験を中心としたイベントです。
我が家はかなり早い段階で4人とも申し込んで、今日をとても楽しみにしていました。幼児2名は職業体験はできず、屋台でのゲームやもの作り体験が中心でしたが、それなりに楽しめました。小学生2人は、屋台でのお手伝いもできますし、オクトーレのテナントで1回(20分間)だけ実際にアルバイトをすることができます。働くと「キッゾ」じゃなくて「はっち券」がもらえて、またそれでゲームに参加したり、お菓子を買って食べたりすることができます。このあたりは完全にキッザニアを模倣していますね…
うちの小学生2人は、どこのお店でアルバイトをしようか最後まで迷っていました。「くまざわ書店」か「スタバ」かなぁ?と言っていたのですが、ハローワーク(手が込んでる!)で相談して彼らが選んだのは「塾」でした(苦笑)。(プリンス進学院の個別指導部が協力してくれていました) 彼らだけでハローワークに行っていたので、決して私が誘導した訳ではありません。でもせっかくのチャンスなので、保護者として同伴して偵察を、状況が許せば名刺交換でも…と考えていたのですが、保護者の方は立ち入りができませんとのことでした。(残念!) で、2人で「塾講師の仕事(指導や丸つけ)」をして来たのですが、先生に「きみたち何か塾の仕事慣れてるね~」と言われたそうです(笑)。家が塾を経営していることは言っていないそうです。「門前の小僧、習わぬ経を読む」というやつでしょうか…
GSの生徒も何人か来ていましたし、それこそ5~6年前に「キッズ広場」で一緒だったお友だち(ママ友)にも2組再会しました。スタッフとして、南多摩や五中の中学生たちも働いていました。(おそらく)ボランティアも含めて多くの人たちが関わってくれていました。とても有意義なイベントを開催していただき、ありがとうございました。
11時から14時半くらいまで、ランチ抜きで長丁場だったこともあり、さすがに子どもたちも疲れたようです。終了後すぐにバーミヤンに駆け込みました…
幼稚園の卒園式
- 2024年3月15日 11:46 PM
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本日、次男の幼稚園の卒園式でした。ついこの前入園したという感覚ですが、3年間があっという間に過ぎ去ってしまった感じです。卒園式の中で、「おもいでのアルバム」の替え歌が流れる中で、3年分のスライドが投影されましたが、周りのママたちは泣いている方が結構いました。コロナ禍では短縮されて来場の人数制限もあった卒園式が元の仕様に戻り、(おじいちゃん・おばあちゃんも含めて)大変多くの参列者がありました。先生方への感謝の会や、教室での先生とのツーショット撮影など、フルコースのメニューとなったので、3時間以上もかかりました。3歳児がすっかり飽きてしまって、お腹も空いて大変でした… 午後も打ち上げが2つ入っていて、朝から夕方までなかなかハードな1日となりました。
少し前までは、人前に出ると物怖じしたりすることが多かった次男ですが、今日の様子を見ていて、「すっかり成長したなぁ…」と感慨深いものがありました。小学校に入学しても頑張ってくれるでしょう。勉強も楽しみなようですが、とにかくサッカーをやりたいようです。今までは喘息持ちで激しい運動を止められていたのですが、ここは数ヵ月でようやく完治に近い状態となり、頑張れそうな感じです。明日から暇な3週間が始まるので、春休みから活動できるところを探そうかと思案中です。長男もサッカーをやっていて、味の素スタジアムでの試合に出たこともありますし、お姉ちゃんと一緒にチアダンスもやっていたこともあるくらいなのですが、今は全部辞めてしまって、すっかり運動嫌いになってしまいました。ピアノと芸術(絵画や工作)の方に目覚めて頑張っているので、それはそれでいいと思うのですが、やはり私が体育会系なので、子どもの中の誰かにはバリバリスポーツをやってほしいと思っています。頑張れ次男!
悔いのない人生を送るために
- 2024年3月14日 10:58 PM
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人それぞれ人生の目標があると思いますが、究極の目標は、人生が終わる時に「悔いのない良い人生だった」と思えるようにすることではないでしょうか。ただし、最大の問題点は、その人生がいつ終わるかは誰にも分からないということです。人生100年時代と言われていますし、100歳以上まで生きるかもしれません。明日にでも不慮の事故に遭って、命を落とす可能性だって0ではありません。そういう意味では、目の前の毎日を必死に生きて、やりたいことにはチャレンジして、会いたい人には会って、毎日を充実させることが大切だと思います。この歳になって改めて思うのですが、毎日を惰性で生きるなんて、もったいなくてとてもできません。私は今、1日が24時間ではとても足りない感じで、寝ている時間も惜しいような感覚があります。毎日、仕事と子育てに追われている訳ですが、それ以外にもやりたいことがたくさんあり過ぎて困っています。
私は、しばらく前から、スマホに「余命時計」のアプリを入れて、毎朝見るようにしています。私が使っているのは、病気や体質等の条件は一切関係なく、日本人の平均寿命から逆算して表示しているものです。あと22年余りですか… もちろん、私はもっと長生きするつもりでいますが(子どもたちがまだ小さいですし…)、時計が1秒ずつ減って行くのを見ると、ちょっと焦ったりします。朝これを見る度に、「今日も1日悔いなく過ごそう! やりたいことは全部やろう!」という意欲が湧いて来ます。仮にあと22年生きるとして、何年で~して、その後の何年で~してというような長期的な人生計画を考えることもあります。やはり、人生のリミットを意識して毎日を過ごすことは大切だと思いますし、仕事はもちろん、プライベートの目標についても、常にリミットを設定して取り組むように心がけています。
私は今お寺に所属して、(オンラインで)様々なことを学んでいるのですが、師匠がやはりこの「余命時計」をスマホに入れていて、私と同じような使い方をされているということを知って共感し、門を叩いた経緯があります。
このアプリ、皆さんも使ってみませんか?(「寿命時計」で検索してください)
ほとんどの学年で残席わずかです!
- 2024年3月13日 10:12 AM
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新年度切り替わりのタイミングでの新規入塾者数は、開校以来最多となりました。お問い合わせ数も、おそらく過去で一番多い状況です。引き続き、GS生や卒業生の保護者の方からのご紹介も多いですし、本当にありがたい限りです。
今週に入ってから2日間で体験生が8名、今日も何名か予定されています。運営面・経営面でありがたいのは、小学生から高校生まで、ほとんどの学年で満遍なく生徒が増えていることです。この2ヵ月で一番入塾者が多いのは圧倒的に新中1ですが…
そのため、ほとんどの学年で残席が少なくなって来てしまいました。
新小4・新小6・新中1・新中2・新中3・新高2・新高3は、あと数名で定員となります。(逆に言えば、新小3・新小5・新高1は、まだ少し余裕があります)
満席となるとしばらく募集停止となりますので、入塾をお考えの方は早めにご連絡をお願い致します。
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