- 2014年12月22日 10:23 AM
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「うちの子はまったく親に対して感謝の思いなんて持っていないと思いますよ。いったい何を考えているのか…」とおっしゃる保護者の方にこの質問をすると、だいたい絶句される方が多いです。「だって先生、あの子があんな感じなんですから、感謝も何もないですよね…?」と返してこられる方もいます。ちょっと待ってください。順番が逆だと思うのです。
お子様が産まれた時のことを思い出してください。無事に生まれて来てくれたことだけで、家族・親戚みんなで大喜びしませんでしたか? 寝ている我が子の頬を撫でて、「産まれて来てくれてありがとう」と声をかけたことはありませんか? 寝返りを打っただけで、立って歩いただけで、片言の言葉をしゃべっただけで、本当に嬉しくなかったですか? その後も、とにかく無事に育ってくれれば…と考えていた時期はありませんか? それらは、すべて「無償の愛」だったはずです。お子様の存在自体を愛していたはずです。それが、いつから愛情に「条件」がついてしまったのでしょうか? 良い子でいる我が子、言うことを何でも聞く我が子、何も言わなくてもきちんと勉強する我が子、成績の良い我が子、志望校に合格する我が子のことを愛するようになっていませんか? 自分の思い通りにならない我が子のことは、愛することができなくなっているのではないですか?
自主性がない? その自主性を奪ってしまったのは誰ですか? 親ときちんと向き合って話をしてくれない? おそらくお子様の方もそう感じています。 思うように勉強を頑張ってくれない? 親が自分のことを心の底から信頼してくれていないと感じていたら、安心して勉強なんかしていられないと思いますよ。
申し訳ありません。ちょっと言葉が過ぎました。 しかし、こういうお伝えの仕方をしないと、ほとんどの保護者の方はそのことに気づいていただけないのです…
私は「チャイルドカウンセラー」と「家族療法カウンセラー」の資格を持っているため、カウンセリングルームで、子どもや家族の相談を受ける機会があります。症例としては、子どもがいじめられていたり、不登校や引きこもり・自傷・非行というようなケースが多いのですが、それらの問題を解決できるかどうかは、だいたい以下の3つの点にかかっています。
〇子どもに生じる問題のほとんどは親に責任があるということを保護者の方が認識して、一緒に解決に向かおうとしてくれること。(それ故に、カウンセリングは子どもだけてなく、保護者の方も対象とさせていただくことが多いのです)
〇子どもがどんな状態になっていても、そのことを親が100%受け入れて真剣に向き合うこと。(例えばそんな状態だと親が恥ずかしいとか、世間体が…みたいな思いがあるうちは、一向に解決に向かえない場合が多いです)
〇親が子どもに対して、条件つきストロークで接することを止めて、(子どもがどんな状態であっても)子どもの存在自体を愛しているということを、日常的に(言葉だけでなく本当に)伝わるようにしていくこと。
しかし現実には、保護者の方がここの覚悟をなかなか決めていただけないことが多く、とても苦労します。子どもを責めてしまったり、「勝手にしろ!」と突き放してしまったり、保護者の方が被害者のようになってしまったり… そうなってしまうと、子どもや家庭の状況はますます悪くなってしまうことがほとんどです。
(次回に続く…)
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- 法律化小僧 2014年12月23日
お久しぶりでございます。
以前コメントさせていただいたものです。先ごろは大変失礼いたしました。改めて見直してみますと、誤字脱字も多く、内容も一方的でお恥ずかしい限りです。先生の申されたご趣旨、大変良く理解いたしました。ご多忙の折大変恐縮ですが、先生は答申がなされた大学入試改革が高校受験に与える影響をいかが予想しておりますでしょうか?
実は私自身都立高校の卒業生でございまして、親族には都立西高校の現役の2年生もおり、また他にもお子さんが来年高校受験を控えている中学2年生を抱えた修習同期の友人もおりまして、卒業後10年ばかりになりましても何かと高校受験の世界に興味・関心が尽きず拝見している次第です。
率直に申しまして、私は勝手ながら今の政府の改革案に大変な危惧を持つとともに、折角なかなかな成功を納めているといて良い
、わが国の初等中等教育政策のひとつといっても良いと考えております(文科省の皆様には恐縮ながら私はわが国の初等中等教育政策の歴史は失敗の歴史としか思えないのです。)都立高校改革の行く末を案じております。すでに「高校単独校はこれから先はダメ」との見通しをなさる方もいらっしゃるようですが、先生はいかがお考えでしょうか。
私は残念ながら教育行政の現場に知人はおらず(都庁職員の友人は結構いるのですが、皆主税局や水道局勤務で教育庁には誰も配属されておりません。)、政策サイドの意向はサッパリわからない状況です。しかしながらどうも政府の「脱一発試験」の掛け声と、昨今の「実技点2倍」「特別選考枠(=一発試験枠)廃止」の”大改悪”が連動しているように思えてならないのです。
東大をはじめとする主要国立大がAOまがいの「脱一発試験制度」なるものを導入するとは、私自身国立大の出身ですが到底思えません。結局「早くから中学受験をさせたほうが有利」「高校受験をしてもどうせ恣意的な内心評価に振り回されるだけ」という”常識”が蔓延することにしかならないのではないかと危惧しております。
私は決して中学受験を悪く考えているわけではありません。前述いたしました西高の2年生のご家庭もご両親ともども中高一貫校のご出身ですし、私のロースクールや修習の同期もむしろ中高一貫校出身者のほうが多いくらいかと思いますが皆さん優秀で人格に優れた立派な人々です。
ただ、人の成長には多様性があると思うのです。小学生にして向学心に溢れた「早咲き」の人もいれば、小学校か下手をすれば中1くらいまではスポーツや音楽など趣味に没頭するばかりで受験になど見向きもしなかったけれども、やがて自我に目覚めて十分に気力・体力とも備わってからまっしぐらに向学の道を邁進する人だっていると思うのです。どちらが良いとか悪いというのではなく両タイプの人々がさまざまなルートを選択できることこそが
大切ではないかと思います。それによって社会の多様性や一体感が維持していけるものと考えます。そういう意味ではイギリスやフランスのようにある一定年齢で人生の進路を区切ってしまうのではなく、小・中・高・大の4期に分けて一環教育と分割教育を選択でき、しかも乗換えが可能な(実態としてはそう簡単では無いでしょうが)わが国の教育システムは昨今の批判とは裏腹に存外優れたものではないでしょうか?
もし今回の一連の改革で事実上、有力大学の進学に関していえば事実上の「一貫教育一強」のごとき様相を呈す未来が待っているとするならば、わが国が本格的な欧米型の固定化した世襲的な「階級社会」に変容するのは時間の問題かと思います。
そうなったとき果たして日本人はそのような社会に対応できるのでしょうか、少なくとも明治以来のわが国には「身分差」はあっても欧米的な絶壁で区切られた世襲の「階級差」があったことはないのですから。(余談ですが、私が以前仕事でお目にかかった方に昭和のころ皇室に御仕えした側近役を輩出した旧華族の御公家様の出の方がいらっしゃいましたが、経済水準は中産階級程度で一家にはそれこそ公立中学から都立高校に進まれた後、税理士になった方もいらっしゃいました。欧米社会、たとえば英国の貴族でそのような進路を歩まれる方は絶無かと思います。)
長々と駄文を申し上げましたが、これは教育界にはまったくの素人の妄想に過ぎません。正直自分自身でもかなり大きな誤認があるのではないかと思います。
これから受験業界は多忙と緊張の毎日かと思います。いずれご教示いただければ幸いです。寒い日々が続きますが、何卒お体ご自愛ください。
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