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文科省が会議を英語で行う!?<その3>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2014年5月10日 7:51 AM
  • 未分類

今回の件で私が一番感じたことは、「手段」と「目的」を混同してしまうことの怖さです。
「英語」を話せるようになることは、グローバル社会の中で活躍していくための「手段」であって「目的」ではありません。ましてや、会議で英語を使えるようにすることが教育の目的であっていいわけがありません。今回の件はもちろんですが、それ以外の様々な改革の中身を見ていても、英語を話せることがあたかも最終目標のようになってしまっています。今の日本の社会で、そのレベルで英語を話せるようになる必要がある人がどのくらいいるのでしょうか? 一部エリート層にはいいのでしょうが、その他大勢の人にとってはピンと来ないはずです。それなのに、文科省や教委は、「英語を母国語のように話ができるようにならないと人ではありませんよ」というようなキャンペーンを張ろうとしているのです。

「手段」と「目的」を取り違えてしまうことの怖さは、この問題だけでなく、普段の生活や仕事の中でも多々痛感することがあります。例えば、仕事を進めていく上で、目標・目的に到達するための手段にこだわり過ぎて、結局目標達成から遠ざかってしまうという場面に遭遇したことは数多くあります。「会議」が無駄に多い組織は正にその典型です。「会議」のための「会議」が存在している会社も結構あります。そのことで職員が疲弊してしまい、一番注力しなくてはならないことに注力できなくなっているのですから、成果につながるわけがありません。
この問題の根が深いのは、取り組んでいる本人がそのことに気付いていなくて、自分ではかなり頑張っているように感じていることが多いことです。(自己満足のために働いているようなダメ上司に多いですね…)もちろん、これは自戒を込めて言っているつもりです。自分でも、手段と目的を取り違えていないかな?と自問自答することは結構あります。

毎年、塾に来ている生徒たち(特に小6や中3の受験生)には、このことを口を酸っぱくして伝えているつもりです。例えば、授業のない日に自習室に来て勉強している生徒がたくさんいるのですが、何を間違えたか、いつの間にか自習室に来ることが目的になってしまう生徒がいるのです。長い時間塾にいても、全然集中していなかったり、教師に「何をやればいいですか?」と聞きに来ていたりします。勉強を時間で管理することについてもそうです。「今日は○時間も勉強した」と自慢している生徒はちょっとまずいです。何時間かけようと、ダラダラやっていたりして成果につながらなければ、受験勉強としてはまったく意味がないのです。
点数を取れるようにする、成績を上げる、合格するということが目的です。普段の取り組みはそのための手段に過ぎません。そこを間違えていると、いくら労力をかけたとしても、成果は手に入らないようになっているのです。

今回のことをまとめると、子供たちの学習の手本を示すべき文科省が、「本質をきちんと理解しようとせずに形だけ整える」という最悪の見本を見せてしまっているということになるのではないでしょうか…

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