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あれから15年…<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2026年3月11日 7:59 PM
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先日も書きましたが、震災からおよそ1年後の3月2日に(2人とも無職の時に)入籍しました。その2日後に(ニューカレドニアに)6日間の新婚旅行に出かけ、帰国したのが3月9日の夜だったと思います。その翌日2人で母親の施設に行き、入籍の報告と結婚式・披露宴の相談をした記憶があります。今だから書けることですが、母親が生きているうちに…という思いが強かったのです。両親ともいない結婚式はちょっと寂しすぎますよね… ただ… やはり妻はともかく、私が無職ではさすがに格好悪いだろう…という話になりました。(まぁ、それはそうだ) 翌日が3月11日。「あれから1年経ったんだね。この1年大変だったね」という話を妻としていたのですが、話をしながら私の中で何かスイッチが入りました。「母親も完全看護(介護)の施設に入れたし、自分の体調も良くなって来た。新しい家族もできたので、そろそろ仕事をしなくては!」と。ちょっと決断が遅すぎた気もしますが、やはりタイミングというものはあります。そうは言っても、私は大学を卒業してから、塾講師の仕事しかしたことがありません。前職の会社は、取締役を退任までしていますので、もう戻ることはできません。(平の一講師から出直しますと言えば使ってもらえたのかもしれませんが…) となれば、自分で塾を立ち上げるしか選択肢が浮かびませんでした。細々とでも家族が最低限の生活をできるくらい稼ぐのであれば、何とかなると思っていました。妻も、そんなことを考えていたので、2人とも無職でもあまり心配をしていなかったそうです。

3月15日から一気に動き出しました。会社設立のために、知り合いの行政書士・社労士・税理士に連絡を取り(結局4月1日設立に間に合わせてくれました。お願いしてから2週間です)、不動産屋に駆け込んで空いているテナントをピックアップしてもらい、いくつも内見して、今のところに契約したのが3月20日でした。(こちらもとりあえず半分は4月1日から、残り半分が4月15日から入居可能となりました) それから、パーテーション・什器・生徒用の机と椅子・コピー・電話回線等の業者に一気に連絡を取って「GW中までに何とかして!」と頼み込み、GW明けに開校にこぎつけられたのです。ただ、パンフレットやHPは開校に間に合わず、完成が6月になってしまいました。講師についても、当初は私と妻だけで細々とスタートする予定でした。妻も進学塾で働いていたので、2人ですべての科目を賄えてしまうのです。しかし、本当にタイミングというものはあるもので、前職で一緒に働いていた盟友が、私の退職後に同じ理由で退職していたことが分かったのです。開校準備の後半からは手伝ってもらい、5月の開校から授業も担当してもらうことになりました。思い立ってから1ヵ月半で開校にこぎつけられた訳ですが、私が大手塾在職中に、新規校舎の立ち上げにいくつも関わっていた経験が大きかったことは間違いありません。当時の人脈・伝手は使いませんでしたが、いつ何をしなければならないのか?ということが明確に分かっていたことが大きかったと思います。業者とのやり取りの中で、とにかく最短のスケジュールで無理してもらえたことにも、その時の経験が活きています。(ちょうど年度末で、業者も年度内支払いをちらつかせると飛びついて来ることが分かっていました笑)

これも何度も書いていますが、とにかく前職の会社に迷惑をかけたくなかったので、最初の1年間は私や講師の名前は一切出さず、とにかく目立たないような運営をしていました。そんな怪しい塾になかなか新規の生徒は来てくれる訳がありません。1年目は各学年数名ずつしか集まらず、大赤字でした。ただ、1年目から南多摩中や難関高校の合格者を輩出することができたこともあり、次第に評判が広がって、2年目で一気に生徒数が増えて、都立進学指導重点校受験者12名全員合格という快挙を成し遂げることができました。1年目の損失を十分にカバーして、2年目から黒字基調となりました。

そんなな中で、開校初年度の6月に結婚式・披露宴を行うことができました。開校してしばらくは、ほとんど生徒がいない大赤字の塾だったのですが、そんなことは言う必要がありません。会社の代表取締役・難関校受験専門の進学塾の塾長という肩書で、無事に新郎が紹介されました(笑)。母親は、介護タクシーを手配して、何とか来てもらうことができました。本人も、まさかこの日を迎えられるとは思っていなかったようです。体調はかなり悪かったのですが、とても嬉しそうにしていた様子を見られて、本当によかったと思いました。それで安心した訳ではないでしょうが、その後母親の具合はさらに悪くなりました。歩行器がないと1人で歩けなくなり、私の顔も分からなくなりました。妻と2人で施設に面会に行った時、妻に「〇〇ちゃん、よく来たね~」とニコニコして言っていたのに、その後後ろにいた私に気付いて怪訝そうな顔をして、「どちら様?」と言われました。これはちょっとショックでしたね… その後、震災から2年が経った春に、母親は亡くなりました。娘が生まれたのはそれから1年くらい経ってからでした。孫の顔を見せてあげられなかったのは、一生の不覚です。(>_<)

結果としてそうなったということでしかないと思いますが、私の人生は震災を境に大きく変わりました。その後立て続けに(7年あまりの間に)子どもが4名生まれて来てくれて、10以上の資格を取って塾講師以外の仕事にもたくさん携わるようになりました。塾講師バカとして私生活を犠牲にして25年過ごしていましたが、その後の15年間は真逆の生活となりました。もちろん、塾講師・経営者としても恥ずかしくない仕事をしているつもりですが、人生の幅が大きく広がりました。漠然とですが、仕事人生の後半も25年は勤め上げたいと考えています。あと11年です。長いようで、あっという間のような気もします。

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