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「当たり前」のことに感謝できる人は強い<その5>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2014年12月26日 10:11 AM
  • 未分類

ある保護者の方から、「先生のおっしゃりたいことはよく分かりました。じゃあ、今さら子どもとの関係を改善するためにどうすればいいのかを具体的に教えてください」というご質問をいただきました。あんなことを書いてしまった以上、お答えしないとならない責任もあると思い、「次のブログで書くので待っていてください」とお伝えしました。
これは、塾の講師というよりも、家族療法カウンセラーとしての今までの経験を基にした結論です。

〇子どもは自分の「所有物」ではなく、別個独立の人格を持った存在であるということを認識すること。
→子どもをいつまで、管理していくおつもりですか? いつかは、どうやっても親がコントロールできなくなる日はやってきます。普通は、親の方が子どもより先にこの世界からいなくなります。子どもを1日でも早く自立させ、親離れさせること。これが親の究極の役割です。

〇子どもの存在自体を心から愛すること。そのことを、折に触れて子どもに伝えること。
→最初は怪訝な顔をする子どももいると思いますが、続けていくうちに変わってきます。たまには、抱きしめてあげてください。日常的に、言葉で伝えてください。ただし、形だけの押しつけだと、子どもは見抜きます。

〇条件つきのストロークを極力排除すること。(「~してくれたら嬉しい」「~してくれないから嫌い」等)
→最悪なのは、成績がいいと褒めて悪いと叱るという繰り返しをすることです。親は成績の悪い自分のことは嫌いなんだ…と子どもが感じてしまったら、なかなか修復が難しくなります。努力の過程もきちんと見てあげてください。失敗した時は、次に向けての挽回策を一緒に考えてあげてください。大前提として必要なのは、「あなたがどんな状況であっても、お母さん(お父さん)はあなたのことが大好きだよ」ということです。

〇一方で、絶対に許さないことややってもらう必要があることについては、腰を引かずに向き合って伝えきること。
→時には、厳しさも必要なのです。ここを履き違えて、愛することと甘やかすことを混同してしまっている保護者の方が少なくありません。本当に優しい親は、ある部分についてはとても厳しいんです。親の「本気」は、必ず子どもに伝わります。伝わらないと感じている方は、どこかで舐められているんです。親が「本気」じゃないと、見抜かれているんです。

〇夫婦間、親子間のコミュニケーションを意識して強化すること。
→「おはよう」「おやすみ」「行ってきます」「お帰り」等の挨拶や、「ありがとう」「ごめんなさい」等思いを伝える会話をきちんと目を見て行うことが大切だと考えます。まずは両親の間で、次は親が子どもにという順番です。それを続けていれば、次第に子どももするようになるでしょう。
時間がある時は、極力一緒に出掛けたり、話をしたりしてあげてください。お父さんは仕事で忙しい方が多いと思いますが、週に1度は(短い時間でも)きちんと子どもと向き合う時間を取ってください。

〇「笑顔」のあふれる家庭を作ること。
→正に「Good Smile」です。突然ですが、子どもから見て、お父さん・お母さんは幸せそうに見えますか? 人生を楽しく過ごしているように見られていますか? それができていないのに、子どもに幸せになれって言ったって無理な話です。子どもは、親よりも幸せになってはいけないという無意識の思いを抱いてしまうということが、カウンせリングの世界の通説です。
仕事はもちろん、何か熱中できるものを見つけることです。子どもと一緒にできるなら、そんなにいいことはありません。家庭で、(家族も含めて)人の悪口や、仕事の愚痴等を極力言わないようにしてください。子どもの前ではもちろん、いない時もです。家庭の雰囲気に微妙に影響します。受験期等苦し時こそ、家族みんなが笑顔で、楽しく過ごして欲しいと思います。子どもたちにとって、家庭が癒しの場であって欲しいのです。

〇日常の当たり前のことに感謝の思いを持つようにすること。
→生きていて、衣食住に困らず普通に暮らすことができていること、愛する家族がそばにいてくれること、今日1日を無事につつがなく送れたこと… これらのことに、毎日感謝の思いを持てている方がどのくらいいるでしょうか? 家族にとって試練だと感じることでも、何か意味があることなのかもしれません。ここを家族で力を合わせて乗り切れれば、新しい地平が見えてくるのかもしれません… 日常の「当たり前」に対して、少し感謝の気持ちを持ってみてください。そして、そのことを言葉にしてみてください。

幸せは、どこからかやって来たり、手に入ったりするものではありません。そこにあることを、気付くものです。目の前に幸せがあるのに、それを見過ごしている方がいかに多いことか… ある心理カウンセラーの嘆きです…

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yurinora 2014年12月28日

私は、自分の子供から、「オオカミこどもの雨と雪」に出てくる主人公であるハナに似ていると言われたことがあります。ハナは二人の子供の母親です。私の子供は、お母さんとハナはキャラとしては似ていない、でも母としての姿は同じだ、と言います。
ハナは孤立した母親ですが、子供と向き合って幸せに暮らしています。

私の子供は、表情豊かな子供だったのに、表情が消えてしまったこともありますし、集中力が凄い子供だったのに、集中力が消えてしまったこともあります。不眠症になったこともあります。表情が消えてしまったこと以外は、私は自分のせいだとは思えません。表情が消えてしまっていた時も、家庭の中でだけは、とても表情豊かで、明るく元気だったと思います。これらの子供の問題を、私は今では自分に原因がある、私が悪いのだとばかり言っていてはいけないのだと思うようになりました。

私と子供は、幸せに暮らしていました。私は、子供が生まれることも、おひさまが毎日昇ってくることも、嬉しくて仕方なくて、当たり前のことだとは思えませんが、感謝しています。当たり前のことに違いない、毎日の食卓も、嬉しくて有難くて幸せなことだと感じます。人との関係も然りです。

ただ、周囲の人は私が自分を幸せだとは思っていないと一方的に決め付けて、それを前提として、「子供が不眠症になりました」ということすら「被害者意識的」とか「学校への苦情」と受け取って、口を開けば愚痴を言う人のように扱うので、困っていました。例えば都立高校や国立大学にしか行かせてあげられない、というようなことは、私は早くから子供に言います。しかし別の価値観では、自分の家が貧乏であるということを子供に悟らせたり感じさせたりしない方がいい、とする人もいます。人によっても状況によっても違うことというものがあり、夜逃げを続ける日々を送る一家のお母さんが、その引越しをすべて自分の気まぐれでやっているかのように装っていたという話を聞いたこともあります。そうした状況では、そうした困窮を隠すということも、必要なことなのかもしれません。
ただ、私が普段困っていることは、そうしたケースバイケースによることではなく、貧乏というのは、それだけで恥ずかしいことなのだからあってはならないとか、貧乏だと口に出すのはイコール愚痴であるとか、硬直的な似非ポジティブ感覚で、貧乏であるという端的な事実でさえも口に出してはいけないものと規定されてしまうことです。

不眠症の事実を口に出しただけで「愚痴」「苦情」と一方的に決め付けられてしまうというのは、聞き手が、自分に対する苦情だと勝手に思い込んでしまうからでした。問題の根がどこにあるにせよ、まずは、事実として不眠という状態がある、と口に出すことも封殺されてしまうようでは先に進めません。
貧乏を苦にしていなくても、自分が貧乏という単なる事実を言葉にして発しただけで、自動的に愚痴や泣き言と見做されてしまいます。
見たくないもの・聞きたくないものを目に前に突き出されるのを嫌がって振り払うような、ヒステリックな反応で、言葉尻はポジティブなのに、どう見てもポジティブではない、とても余裕の無い感じなのです。
前を向けとか、愚痴を言うなとか、被害者意識だとか、思い当たる節の無い、的外れな責め立てです。

こういうのは、とても困ります。私達は幸せでも、そちらからは不幸せに見えるからと言って、勝手に愚痴だとか被害者意識だとかいう言葉で、端的な事実を端的に口にすることすら阻むのです。
特に不眠症という問題は、子供の成長に直接かかわる重大事項です。
報告すらできないのでは困りますし、それを全て親が原因の生活習慣の乱れだと決め込む人々に従っていたら、私の子供は不眠も不登校も治癒することはできませんでした。

私と子供は、自力でこの困難を乗り越えました。心理学関係者に、そのプロセスの話をすると、誰もが興奮して目を輝かせます。本当に創造的だったと思います。
一般論として、子供の問題は、大抵の場合は、親が悪いだろう、と私も思います。しかし、時には、辛うじて親だけが支えている、という状況もあります。不眠症ではなく表情が消えた方の子供は、大きくなってから自分が周囲の母親を見る目と同化していたことに気付いて、全身全霊で自分を責めて泣いていました。数ヶ月にわたってその後遺症が続き、自傷に近い行為にも向かいました。私だけがそれを知っていて、子供を徹底的に休ませ自ら子供との時間を作って色々なことをすると、周囲は単純に「お母さんが甘やかしていて子離れができていないから子供がおかしくなる」と捉えます。

正直、そのパターンは飽き飽きです。「いい加減にしろ」、と最近は言うようになりました。

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