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GS進学教室

道徳の評価は入試で利用しない!?<その7>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月28日 1:01 PM
  • 未分類

この点についてもっと問題が大きいと思うのは、ボランティアが入試や就職で評価されることが決して少なくないことです。
2020年からの新しい大学入試において、各大学ごとの2次試験では、高校生の時の取り組みとしてボランティアも評価の対象に入れる場合がある(というか積極的に評価せよ)ということが公表されています。(それとは別に、新しい学習指導要領では、「奉仕」という科目が新設されます。これも当然評価の対象となります) 文科省は、テストの点数だけでは見ることができない人間性等を評価すると言っていますが、まったく賛同できない話です。ポランティアって何なのでしょう? 定義としては、「自発的な思いに基づいた無償の行動」ではないのでしょうか? 大学入試の評価のために取り組んだ時点で、それはもうボランティアではなくなってしまうはずです。
最近の生徒・保護者の方や、若い塾の講師たちは知らないかもしれませんが、一昔前に都立高校の入試でもボランティアが評価の対象となっていた時期がありました。内申の特記事項という別枠が8点分あり、生徒会や部活の活動と共に、ボランティアもその評価の対象となっていたのです。ボランテイアをやっていたことが評価されるだけで(厳密に言うと、全生徒の2割までしか認められませんでしたが)内申が4点分違うのですから、都立志望の生徒は当然それをもらうためにボランティアに出掛けていきます。
中3の生徒たちは、受験で一番重要な夏休みに、老人ホーム等にボランティアに行く生徒がかなりいました。塾としても、内申が足りない生徒たちには積極的に行かせていました。本当に、今となってはバカみたいな話です。
笑えない話があります。中学生が登校の途中に、お婆ちゃんが横断歩道を渡るのを手伝ってあげたのです。これだけ聞いたら美談ですよね。何て優しい子供なんだろう…と。しかし、その中学生は、横断歩道を渡った後に、そのお婆ちゃんに、手伝った証明を書いてくれと言って、ノートを差し出したのだそうです。施設とかでボランティアを行った時は、その施設から証明書をもらってきて中学校の先生に渡すようになっていたのです。その生徒は、そのことを思い出して、「これは内申点に使える」と思ったのでしょう…
内申点欲しさに生徒会長や部活の部長に立候補する生徒がものすごい多かったのもこの頃です。(今では考えられませんよね) しかし、これは子供たちが悪いのではなく、制度が悪いのです。内申が4点とか6点とか簡単にもらえてしまうのですから、子供たちが飛びつくのはよく理解できました。
そんな状況が巷に知れ渡るようになって、特記事項の制度は廃止になりましたが、またあれと同じようなことがあちこちで(今度は高校で!)起こってしまうのでしょうか…

私が疑問を投げかけたいのは、評価されることを意識して、自分の本意ではないことをすることが、本当に道徳的なのか? ということです。ボランティアはもちろん、本来道徳的なことというのは、評価されようがされまいが、誰かが見ていようがいまいが、自分の信念に基づいて行うはずのことだと思います。それを、評価で縛りつけることによって、無理やりそういう方向に子どもたちを導こうという教育方針は、明らかに間違っていると言わざるを得ません。
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で利用しない!?<その6>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月27日 12:46 PM
  • 未分類

私がさらに問題だと感じているのは、道徳的であるということを評価すること自体に矛盾を内包しているということです。子どもたちが本当に心の底から納得していなくても、形だけ示せばよい評価がもらえてしまうのは大きな問題だと感じます。

今私が関わっている部分で言えば、都立中の作文でそのことを強く感じています。都立中の作文は、その採点基準からしても、多分に道徳的な視点で書かないと良い点数がもらえない側面があります。例えば、「諦めないで頑張ること」「他者への配慮・思いやり」等がテーマになる場合が多いですし、間違ってもいじめや戦争を肯定するような意見を書いてしまったら、それだけで不合格になってしまう場合もあります。(これは、以前に都立中の先生から直接伺いました)
例えばいじめに関して自分の意見を書く作文で、生徒が「これは、いじめられる側にも問題がある。もっと強くなれよ!」とか、「自殺するなんてバカみたい。学校なんか行かなくていいから逃げちゃえばいいのに…」とか書いた場合、一個人としてはなかなか見どころがある意見だと感じたり、よく考えているなと思ったとしても、塾の講師としてはその意見を全否定して、書き直しを命じなくてはなりません。入試本番でそんな意見を書いてしまったら、合格することができなくなってしまうからです。最初は、自分で主体的にものを考えている生徒ほど「何で?」と不満をあらわにするのですが、そういう指導を続けているうちに、次第にそれに染まってしまい(我々が染めているわけですが)、「自分はこう思うけど、点数を取るためにはこう書かなきゃダメなんだよね?」とか言うようになります。入試だから仕方ないと言えばそれまでなのですが、腹の中で舌を出していても、大人の顔色を伺って当たり障りのない模範解答を書けば、それがとても道徳的であると評価されて、良い点数をもらえてしまうことに違和感を感じずにはいられません。(それでも塾としては、合格させるためにそういう指導を続けざるを得ないわけですが…)
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で利用しない!?<その5>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月26日 12:12 AM
  • 未分類

私は、今回民進党が主張していたような、愛国心教育の押し付けにつながるという部分の心配はあまりしていません。私は右寄りでも左寄りでもありませんが、子どもたちに一定の愛国心を持ってもらうことは必要だと思いますし、またその行き過ぎた押し付けによって子どもたちの権利・主体性等が損なわれることはあってはならないとも考えています。ただし、今回の教科化によって、その部分で急に偏った指導がなされるようになることはないはずです。愛国心を評価するなどということにもつながらないでしょう。

それよりももっと、身近な日常的な価値観・判断基準において、一教師の偏った考えを押し付けられること、それに対するリアクションよって評価をされてしまうことがとても怖いのです。
前回の3つの事例がとても象徴的だと思いますが、明らかに教師が持って行きたい「結論」が偏っています。将来の夢や生き方の部分で言えば、もっと多様性があってもいいと思いますし、そもそも誰もが努力のみによって、イチローのようになれるわけではありません。私は、それこそ「人生ではどんなに努力しても叶わないことがある」ということを教えることもとても大切なことだと考えています。サッカーのS選手の生き方が、なぜ人生を犠牲にしていると言ってしまうのかも理解に苦しみます。(実際、今はご結婚されて幸せに暮らしているようです。余談ですが、先日久しぶりにテレビでお姿を拝見して、外見も含めて雰囲気がまったく変わってしまっていることにびっくりしました。とっても幸せそうでした…) いじめの傍観者を悪者扱いするのも大問題です。そうしたくても、「次は自分がいじめられるのではないか?」と考えてしまって勇気が出せない子どももいるのです。そのことを尊重してあげないと、道徳教育の意味がありません。

まとめて言うと、子どもたちの個性・考え方の多様性を認めてあげた上で、様々な意見があること、社会ではそれをすり合わせて行かなくてはならない場面があること等を学ぶことが道徳だと思うのです。今文科省や教委(いや学校現場かな?)が目指しているのは、子どもを画一的な枠に押し込め、それを逸脱した者を叩くことを目的にしているようにすら見えてしまいます。
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で利用しない!?<その4>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月25日 12:25 AM
  • 未分類

私は数年前に、東京都の教育モニターとして、いくつかの学校において道徳の授業を見学する機会に恵まれました。とにかく、ここでの授業の内容が酷かったのです。(「おっ、いいな」と感じた授業もありましたが、ごく少数でした) 私の中でこの時の印象がとても強いため、「あれで生徒たちの評価をされてしまったのではたまらない…」という思いが強くあります。

抽象的な話だと分かりにくいと思うので、具体的な事例を挙げてみます。プライバシーの問題もあり、学校が特定されてしまうとまずいと思うので、多少授業内容の設定を修正していることをご承知おきください。

<事例1>
テーマは「将来の大きな夢を持とう!」。将来の職業や活躍したいこと等について、大きな夢を持つことが大切だという教師の話の後に、生徒たちに1人ずつ将来の夢を語らせる。教師はそれに対していちいちイチャモンをつける。「もっと大きな夢を持ちなよ~!」とか、「それは無理無理!」とか… ある生徒が、「自分はみんなのような壮大な夢はありません。普通に働いて、普通に結婚して家庭を持って、普通に生活して行ければいいと思います」と発言したら、「今からそんなことでどうするの!」と叱責モード。最後のまとめとして、「夢は努力によって必ず叶います。夢を叶えるために、毎日きちんとした努力を続けて行きましょう!」と。

<事例2>
テーマは「いじめの撲滅」。「いじめは絶対に許されないことなので、いじめのないクラス・いじめのない学校にしよう!」という話からスタート。いじめが起こった時には、3通りの関係者がいる。加害者と被害者と傍観者である。実は傍観者の責任がとても重い。いじめを見かけた時に、見て見ぬふりをするからどんどん問題が大きくなる。なぜ、いじめを止めようとしない? 傍観者は加害者と同じである。今後は、いじめを見つけた瞬間に勇気を持って止めること。そうすれば、いじめのないクラスになります。

<事例3>
テーマは「世界での日本人の活躍」。野球のイチロー選手、サッカーの本田選手の話が中心。小学生の時の作文を引き合いに出して、「彼らは小学生の時から明確な目標を持って、毎日血の滲むような練習を続けて来たから今があるんです。皆さんも今からそのくらい頑張って、イチローや本田くんみたいになれるように頑張りましょう!」
後半は女子サッカーのワールドカップで日本が優勝した話題に。チームを牽引したS選手の話が中心。35歳を過ぎて現役で頑張っていることに触れて、「何てすばらしい生き方なんでしょう! 普通はできませんよ。(結婚もしないで)自分の人生を犠牲にして、日本のために身を粉にして頑張っているのです。皆さんもそういう充実した人生を目指しましょう!」 担任は、妙齢の女性の先生でした。

皆さんは、これらの道徳の授業の事例をどのように受け止めたでしょうか?
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で利用しない!?<その3>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月24日 12:26 AM
  • 未分類

塾の講師でも、こういうブログ等で様々な意見を発信している方は多いのですが、やはり大手塾をはじめ企業に属しているとなかなか難しい部分があるのです。いわば会社を背負って発信していることになるので、下手なことは言えない(書けない)部分があります。私も以前、会社組織に属してブログを書いている時は、書きたいことの半分も書けなかった気がします。その反動が今出ているのかもしれませんが…(笑) 今は、発信したことはすべて自分が責任を取ればいいだけなので、そういう意味では何も制約がありません。法に触れるようなことはもちろん、最低限のマナーは意識しているつもりですが、教育に関することにおいて「おかしいものはおかしい」と言えなければ、こういうブログの存在価値はなくなってしまうと思っています。

今回の道徳の教科化についての議論は、「入試で利用しない」ということを受けて幕引きにしてはならないと考えています。内申書には評価を入れないということですが、生徒の手元に渡る通知表や、何年も保管が義務づけられていめ指導要録には、道徳の評価を文章で記入するということも今回併せて確認されています。「教師が生徒の道徳性を評価する」ということには変わりはないのです。文科省は、「基本的に生徒たちの美点凝視によって褒める内容を中心とし、自己を振り返る際に参考にしてもらうことを目的とする」としていますが、基本的には担任が記入することになるとのことなので、結局は担任個人の力量に委ねられてしまうことになります。
何を以って道徳性を評価するのかということですが、これについても文科省は、課題に対する「作文」やクラス内での議論の際の「意見」等を参考にするとしています。結果、どういうことになるかと言うと、大人(教師)が欲している考えを推察してそれに迎合できた生徒が良い「評価」をもらえることになります。そういう場面こそ、自発的・個性的な意見が尊重されるべきだと思いますが、道徳の授業については、そういう生徒は良い評価をされないケースが多くなるはずです。大人の顔色を伺って、自分の本当の意見を封殺することを身につけさせたいということなのでしょうか?
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で使用しない!?<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月23日 2:23 PM
  • 未分類

文科省はその後、ホームページにも「道徳の教科化と評価」についての見解を掲載し、その目的と入試利用はしない旨を明記しました。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/__icsFiles/afieldfile/2016/06/17/1222218_001.pdf

不思議なのは、文科省はなぜこういう発信をもっと早くしなかったのか?ということです。前文科大臣の下村さんの時代に遡りますが、少なくとも2年前には今回のような議論が様々な場で行われていました。その時文科省は、「今後文科省内や有識者等の会議で検討する」という見解だけ出して、今回のような明確な否定をしなかったのです。そのために、教育現場が混乱してしまったことは否めません。
今回慌てて馳大臣が会見で否定した理由は明確です。7月10日の参院戦の争点になりそうな状況になってしまったからです。そういう意味では野党(民進党)が上手かったと言うのか、ここできっぱりと否定されてしまったので下手だったと言うのか分かりませんが、我々の立場からすると、いい仕事をしてくれたということです。

私は塾の講師という立場ですが、どういうわけか道徳の教科化について意見を求められる機会が多いのです。かなり早い段階からこのブログで教科化と入試利用の可能性について批判を書いていたので、目をつけられた(?)ということもあると思います。いくつかのメディアにコメントが掲載されたりしましたし、小学館の「総合教育技術」という雑誌では、元文科官僚や大学教授等のお偉いさんと並んで、見開き2ページで持論を展開させてもらいました。その記事を基にした原稿が、日本図書センター刊行の「日本道徳教育論争史」という1セット10万円近くする書籍に掲載されました。これは、それこそ福沢諭吉の「学問のすすめ」から続いている歴史的・学術的な書物です。(もちろん印税も入って来ます。金額は大きい額ではありませんが…)
なぜ一介の塾の講師でしかない私の文章やコメントが、こんなに重宝されてあちこちで取り上げられるのか? その理由も簡単です。私ほどはっきりと今回の教科化・入試利用の可能性を批判している論客がいないからです。もっと言えば、文科省や教育委員会に露骨に牙を剥いている者がいないということです。
学校の先生方(特に公立の先生方)は、(人事・評価等で)ある意味人質に取られているようなものですから、お上にたてつくことなどできるわけがありません。今春の都立高校入試の理科の出題ミス(あえてこう断言します)の問題が大きくなった時に、そのことを強く感じました。私のところに、都立高校や公立中の先生方からメール・ブログのコメント等が多数寄せられたのです。「自分もおかしいと思うのだけど、立場的にものを言えないので、(私に)頑張って欲しい」という内容のものがほとんどでした。

私は、問題の内容はもちろん、その後の都教委の対応があまりにも酷かったことに対して、様々な発信をしました。とにかく、「真面目にやっている(きちんと勉強している)受験生が不利益を被ることがないようにしたい」という1点のみが念頭にありました。何人かの都議会議員の先生方に動いていただいて、もう一歩のところまで話が進んだのですが、そこで今回の舛添都知事の問題が大きくなり、都議会の矛先が一気にそちらに向かってしまい、入試のミスの話が立ち消えになってしまいました。実は直接都知事あてにも2つのルートから、今回の出題ミスとその後の都教委の対応の不誠実さについて陳情を上げました。もちろん、まったく何の反応もなかったのですが、今になってみると、あの頃の都知事はそれどころではなかったわけで…(苦笑)
(次回に続く…)

道徳の評価は入試で使用しない!?<その1>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月22日 12:44 PM
  • 未分類

小学校では2018年度から、中学校では2019年度から、道徳が学習指導要領上の正式な教科になります。特別な教科という位置付けですが、指導要録に残る「評価」を(数値ではなく)文章で行うということも公表されていたため、様々な憶測が流れていました。「そもそも教師が生徒の人間性を適切に評価できるのか?」という声もありましたが、我々の業界で一番懸念されていたのは、「入試の合否判定で利用されないのか?」ということでした。
実際、私立高校の先生の中には、「調査書に記載される形になったら、何らかの形で参考にすることになるだろう…」というようなことをおっしゃっていた方もいました。そんな事態になったら、生徒たちが今まで以上に教師の顔色を伺って学校生活を送らなくてはいけなくなったり、教師の恣意的な判断(はっきり言って好き嫌い)で生徒を評価できるようになったりするため、(私も含めて)批判的な意見が多く出されていました。

先日の馳大臣の会見の中で、このあたりの懸念について、文科省の見解がはっきりと示されました。民進党の長妻代表代行が、「道徳の評価が入試に使われることになるのは大問題である」との見解を表明したことを受けてのものでしたが、「道徳の評価が入試に利用されるというのは誤解である。内申書には記入しない。入試の判定に使われることのないように、各教委を通して現場にも指導を徹底する」という内容でした。
私立高校も含めて指導が徹底されるのかという一抹の不安は残りますが、文科大臣が「内申書に道徳の評価は記入しない」ということを明言しているわけですから、とりあえず一安心ということでいいと思います。
(次回に続く…)

受験生にとっての踏ん張りどころ<その3>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月21日 12:49 PM
  • 未分類

小6・中3受験生は、この時期からいよいよスパートをかけなくてはならないわけですが、その際にとても大きいのが、志望校の目標が明確になっているかどうかです。やはり、この時期になってそこがブレているようだと、なかなか頑張りが効かないのです。

人間は、取り組むべきことが大変になって来れば来るほど、具体的な目標がないと頑張れないのだと思います。例えば、マラソンや登山を想像していただくと分かりやすいのですが、挑戦する人たちは何であんなに大変な思いをして頑張れるのかと言うと、それは間違いなくゴールがあるからです。マラソンで、ゴールが無くて倒れるまで走り続けるルールだったら、頑張って走ろうとは思えないはずです。登山にも、山頂という明確なゴールがあります。(時には無事下山というゴールに変わることもあるでしょうが…) 日常の大したことはないレベルの取り組みであれば、目標がなくてもやり切れてしまうこともあるでしょう。しかし、ぎりぎりのしんどい戦いになったら、なかなかそうは行かなくなって来るのです。

受験勉強において、なぜこの時期に1つの壁を迎えるケースが多いのかと言えば、実際の過去問を解き始める時期だということがあります。小6にも中3に言えることですが、過去問を1度でも時間を計って解いたことがあるかどうか(当然自分が取った点数を把握することも含めて)で、勉強へのスタンスがまったく違って来ます。何だかんだ言って入試問題は難しいので、「このレベルのテストで点数を取らなければいけないんだ…」ということが肌で分かっているかどうかがとても大きいのです。今のペースで解いていたら(勉強していたら)、テスト中にまったく時間が足りないということもリアルに分かりますし、1つ1つの復習を完璧にやっていかなければ点数を取れるようにならないということも実感として掴めるようになります。それまで自分が苦労していた確認テストや月例テストが、実はとっても易しいテストだったのだということに気付くのもこの頃です。ひと言で言うと、入試問題レベルの学習を本格的にスタートすると、勉強の取り組みの質・レベルが大きく変わって来るということです。そこを変えないと、入試問題レベルで点数を取れるようになりません。

その際に、志望校等の目標が明確になっていないと頑張れないことはご理解いただけるものと思います。自分が目指すところが分かっていなければ、具体的にどんな勉強をして行けばいいのかが分かりません。志望校によって問題の出題傾向・形式がかなり異なることも、そろそろ理解して行く必要があります。また、目標が明確になっていない生徒は、入試問題を解くようになって、「こんな難しい問題で点数を取れるようにするのは無理だ!」と諦めてしまうかもしれません。
いずれにしても、この時期の受験生は、明確な目標を再確認した上で、勉強の量を増やし、取り組みの質・内容をレベルアップして行かなくてはなりません。受験の結果を大きく左右する夏休みが、もう目の前に迫って来ているのです。

受験生にとっての踏ん張りどころ<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月20日 1:47 PM
  • 未分類

中3生で言うと、来週期末テストが終了し、それとほぼ同時に部活も引退となる生徒が多いのですが、ここで緩んでしまってはダメなのです。夏期講習会がスタートするまで残り1ヵ月を切ることになるわけですが、このタイミングで一気にスパートをかける必要があります。今まで、中学校のテストや学校行事・部活等でなかなか受験勉強の方に集中し切れなかった生徒も多いと思いますが、ここからの2ヵ月は全力で向かうことができるようになります。本気モードに突入するのを夏休みまで待っていたら、完全に乗り遅れます。
実際、先週で部活を引退した生徒のうち何名かは、今までとは目の色が変わって取り組み始めました。勉強量はもちろん、集中力も今までとは「別人」になっています。必ず結果に結びついて来るはずです。

小6生についてもそれは同じことです。やはり来週で学校行事や修学旅行が一段落するので、夏に向けて本腰を入れた勉強をして行かなくてはなりません。やはり、土日の時間の使い方がポイントだと思います。土曜日などは早くから校舎に来て勉強している生徒たちも多いのですが、姿を見かけない生徒たちが家で何をしているのかとても心配になります。やるべきことはたくさんあるので、1つ1つ着実にクリアして行けばいいだけです。(中学受験は、高校受験以上にいかに時間をかけられるかの戦いになります)
私立中志望者と都立中志望者では、この時期にやるべきポイントが大きく異なります。ひと言で言えば、私立中組は知識の整理と重要事項の暗記、都立中組は最低限の知識の整理と共に、作文・記述の形式を固め切ることです。夏期講習が始まった時に、私立中組で基本的な知識が固まっていなかったり、都立中組で「基本的な記述が書けない」状態だと、完全に乗り遅れてしまいます。
(次回に続く…)

受験生にとっての踏ん張りどころ<その1>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年6月18日 3:55 PM
  • 未分類

特に中学生にとって大事な週末を迎えています。ほとんどの中学校で、来週期末テストが予定されているからです。特に中3生は、今回の結果でほぼ最終的な内申点が見えて来るため、はずすことができないテストです。中1生にとっても、初めてもらう内申点はとても重要です。
すでに期末テストが終了した生徒が数名、27日以降に予定されているのが(私立中・都立中の生徒も含めて)数名で、それ以外ほとんどの生徒が来週に迫っています。
そんな中、本日も部活の(中3生にとって)最後の大会の公式戦に多くの生徒が出かけています。先週までに負けてしまって既に引退した生徒もチラホラ出ています。同じ話を蒸し返すようですが、期末テストの数日前に部活の公式戦があること自体、そもそもの組み立てが間違っていると思います。都大会→関東大会→全国大会という日程の流れからの逆算なのでしょうが、都内で期末テストが一番集中しているのが来週なのですから、この週末くらい公式戦をはずすことはできるはずです。これが、「部活が教育活動の一環である」ということがお題目になっていることの証左です。

部活がない生徒たちは、本日も早くから塾に集まって来て勉強しています。やはり、中学生はほとんどの生徒が期末テストの勉強をしています。特に、理科の質問をしている生徒が目に付きます。教科書準拠のワークに取り組んでいる生徒も多いです。GSは、普段の授業の中では定期テストの対策を一切しませんが、テスト前の期間は、週末はもちろん、平日の授業がない日なども含めて、フォローアップの時間を取っています。来て欲しい生徒に限って来てくれないのが残念なのですが…

6月度のGSテストの結果(偏差値等・順位・志望校の合格率等)が判明しました。小6・中3には、昨日から簡易版の成績表を返却しています。受験学年については、少なくとも1週間以内には結果をフィードバックしたいと考えています。(正式な成績表は来週半ばに返却となります)
小6・中3については、いずれも全員の平均偏差値で過去最高の数字が出ました。中3の上位クラスは、平均で偏差値68近くまで来ています。全在籍生の平均でも偏差値60を大きく超えています。受験学年になってから3~4ヵ月、頑張り出した分がようやく結果につながり始めたと感じています。
<次回に続く…>

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