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支給型奨学金がいよいよ始動!<その6>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2016年10月31日 1:08 PM
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もう1つは、政府が最近しきりに主張している、「教育の平等」ということについて疑問を感じてるいるからです。
一般的に、平等と言った時には2つの概念があります。「機会の平等」と「結果の平等」です。もちろん、社会において「結果の平等」が保障されなくてはならない場面も多々あります。社会保障に関することや、消費行動のおける支払い額や優先順位等については、その「結果の平等」が確保されることが前提となって成り立っています。
ただし、教育に関しては「結果の平等」を掲げるのがそぐわない場面が多いのです。例えば極端な例ですが、東大に入りたいと思った生徒が全員入学できるわけではありません。定員が決まっていて競争がある以上、選別が行われるのは当然です。相応の学力(努力)が伴わなければ「結果」は伴いません。このことを以って、不公平だ、差別だという声は聞いたことがありません。東大のような最難関のレベルに限らず、受験全体について言えることだと思いますが、そこには基本的に機会の平等は最低限保障されているということをみんなが(それなりには)納得しているからです。

ここ数十年の国や都の教育に関する政策を見ると、ここを間違ってしまったために、混迷を極めてしまった側面が大きいと思います。「ゆとり教育」然り、「都立高校の学校群制度」然りです。これらの制度の根底には、「みんな横並びで学力による格差をなくすことが平等だ」という考え方があります。それが間違いであったことは、その後の「ゆとり教育廃止」や「都立高校の差別化」が進んだ今となっては、誰の目にも明らかです。
この間学校では、勉強に限らず様々な部分で、子どもたちを序列化することを避けて来た経緯があります。運動会や展覧会等で、個人の順位をつけない(表彰しない)ということを徹底していた学校も少なくありませんでした。(最近はそうでもなくなって来ているようですが…) しかし、社会に出ると否応なく様々な部分で序列化されてしまうので、それに適応できない若者が増えているのではないかと感じていました。

今回の奨学金についての様々な改革について、政府は「機会の平等」を謳っていますが、私はどちらかと言うと(より多くの子どもを勉強させて大学生にするという)「結果の平等」を意図しているように感じます。それが、何かモヤモヤとした違和感につながっているのだと思います。
私は、子どもたちの能力を多面的に伸ばしてあげることが教育の重要な使命だと考えています。勉強が好きな子、向いている子は徹底的に勉強させて伸ばしてあげればいいし、スポーツや体を動かすことが得意な子、芸術系や手作業が得意な子はそちらの能力を徹底的に伸ばしてあげるのがいいのではないでしょうか。
(次回に続く…)

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