- 2016年6月26日 12:12 AM
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私は、今回民進党が主張していたような、愛国心教育の押し付けにつながるという部分の心配はあまりしていません。私は右寄りでも左寄りでもありませんが、子どもたちに一定の愛国心を持ってもらうことは必要だと思いますし、またその行き過ぎた押し付けによって子どもたちの権利・主体性等が損なわれることはあってはならないとも考えています。ただし、今回の教科化によって、その部分で急に偏った指導がなされるようになることはないはずです。愛国心を評価するなどということにもつながらないでしょう。
それよりももっと、身近な日常的な価値観・判断基準において、一教師の偏った考えを押し付けられること、それに対するリアクションよって評価をされてしまうことがとても怖いのです。
前回の3つの事例がとても象徴的だと思いますが、明らかに教師が持って行きたい「結論」が偏っています。将来の夢や生き方の部分で言えば、もっと多様性があってもいいと思いますし、そもそも誰もが努力のみによって、イチローのようになれるわけではありません。私は、それこそ「人生ではどんなに努力しても叶わないことがある」ということを教えることもとても大切なことだと考えています。サッカーのS選手の生き方が、なぜ人生を犠牲にしていると言ってしまうのかも理解に苦しみます。(実際、今はご結婚されて幸せに暮らしているようです。余談ですが、先日久しぶりにテレビでお姿を拝見して、外見も含めて雰囲気がまったく変わってしまっていることにびっくりしました。とっても幸せそうでした…) いじめの傍観者を悪者扱いするのも大問題です。そうしたくても、「次は自分がいじめられるのではないか?」と考えてしまって勇気が出せない子どももいるのです。そのことを尊重してあげないと、道徳教育の意味がありません。
まとめて言うと、子どもたちの個性・考え方の多様性を認めてあげた上で、様々な意見があること、社会ではそれをすり合わせて行かなくてはならない場面があること等を学ぶことが道徳だと思うのです。今文科省や教委(いや学校現場かな?)が目指しているのは、子どもを画一的な枠に押し込め、それを逸脱した者を叩くことを目的にしているようにすら見えてしまいます。
(次回に続く…)
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