ホーム > 未分類 > 平成から令和へ<その2>

平成から令和へ<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2019年4月3日 10:35 AM
  • 未分類

私が塾で働き始めたのは、昭和62年のことです。今でもリアルに覚えていますが、昭和天皇が崩御された日は、冬期講習会の最終日でした。午後から授業が休講になるかと思いましたが、夜まで普通にありました。平成の31年間、ずっと塾講師をしていたことになります。そう考えると、ちょっと感慨深いです。
この31年の間に、世の中の状況がだいぶ変わりました。昭和の終わり頃はバブルの絶頂期で、平均株価が3万円以上あった時代です。就職で苦労していた学生はほとんどいませんでした。会社説明会に行くと交通費が全額支給されましたし、最終選考まで行くと食事がついて来ました。内定が出た学生は、研修と称して温泉旅行(大企業の中には海外も!)に連れて行かれるケースもありました。(今となっては想像もつかないと思います) みんなが夜遅くまで遊び、バンバンお金を使っていた時代でした。
私の友人で山一証券に就職した者がいましたが、その頃に経営が破綻するなんて想像した人はいなかったと思います。彼は今どうしているのかな… 私の周りには中央省庁や今のメガバンクに就職した友人も多く、当時勝ち組と呼ばれていましたが、今会うと幸せそうに見えないのは私の偏見でしょうか…

当時はまだ、塾は日陰の商売でした。「司法試験等資格試験を目指す者が、食べるためにとりあえず塾講師をやっている」というようなイメージが強かったと思います。大学を卒業して塾で働いているということを言うのがちょっと憚られる感じがありました。(私は隠していませんでしたが…) 今は、一生の仕事として塾に就職し、実際にそうなる者の割合が増えて来ています。

当時は、塾で体罰が当たり前の時代でした。これも今となっては信じてもらえないのですが、確認テストで不合格だっただけで、生徒はビンタをもらっていました。宿題を忘れた生徒は、廊下で1時間正座していたりしました。そんな場面では、そういう厳しい対応をしないと逆にクレームをもらってしまうこともありました。「先生はうちの子を本気で何とかしようとする気があるのか!?」と。最初うぶだった私は、すごい世界に来てしまったと思いましたが、すぐに慣れました。平成になって、バブルが弾けてしばらくした頃には、だいぶ雰囲気が変わって来ました。平成10年頃には、もう体罰が許されないような時代になっていたと思うので、その10年間で世の中を吹く風が大きく変わったのだと思います。今さすがに体罰が行われている塾は皆無だと思いますが、スポーツ(部活・体育会)の世界では旧態依然として存続しているケースが少なくありません。それが、ここ数年で一気に噴出して来ているのは周知の通りです。昭和や平成の前半の時代を知っている指導者が、体に染み込んでしまっている体質を変えられないからです。

当時は、学校群制度やグループ合同選抜制度の余波で、都立高校がガタガタになっていました。何しろ、西や立川が全入となっていたのです。私はその頃から多摩地区で指導をしていましたが、立川高校と日大付属に合格したら、日大付属を選ぶ生徒が圧倒的に多かった記憶があります。そんな状況ですから、都立高校からの大学受験はとても苦しかったのです。石原さんが都知事に就任されて、都立高校の入試制度をドラスティックに変えたのは、平成13年以降のことです。その頃は、今のように都立高校が復活するとは、塾講師たちですら誰も信じていませんでした。
(次回に続く…)

コメント:0

コメントフォーム
入力した情報を記憶する

トラックバック:0

この記事のトラックバック URL
http://www.gssk-h.com/blog/wp-trackback.php?p=12775
トラックバックの送信元リスト
平成から令和へ<その2> - GS進学教室 より

ホーム > 未分類 > 平成から令和へ<その2>

検索
フィード
メタ情報

ページの上部に戻る