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それぞれの3.11<その2>

  • 投稿者: gs_staff
  • 2019年3月12日 3:05 PM
  • 未分類

あれだけの大災害を目の当たりにしたことと(連日テレビで報道される家屋倒壊や津波の映像はかなりショッキングでした)、その後自分の周りで起きた様々な出来事が、その後の自分の生き方に影響を与えていると思います。直接・間接に被災された方はもちろん、そうでない方も、同じようなことを感じている方は多いのではないでしょうか?
私の場合は、具体的には大きく2つのことが挙げられます。1つは、「人生、いつ何が起こるか分からないのだから、1日1日を悔いなく生きよう」と強く感じたこと。もう1つは、「もっと家族を大切にしなくてはいけない」と改めて考えたことです。

それまでの人生を振り返っても、仕事に生活にと、自分なりに全力で取り組んで来たつもりでしたが、結局のところ会社に依存していたに過ぎないということに気付きました。言われるままにそれなりに日々を過ごしていれば(会社が期待する成果をまったく上げられなくても)、毎月決まった日に給料が振り込まれるわけです。特に私の場合は、若いうちから大きな仕事に携わらせていただいたこともあり、立場が上がっても、(会社勤めをしているうちは)雇われ人根性が抜け切れていなかったように思います。「自分の判断で何かをして、その責任のすべてを自分が負う」というような経験をして来ていないわけです。もちろん、ある場面ではそういう意識と言動で職務に臨んでいたのだと思いますが、会社というセーフティネットの下でのことですから、それによって食いっぱくれることなどありませんし、「このままではいけない…」という意識がかなり強くなって来ていました。
ただしそうは言っても、私は当時の仕事や会社が好きでしたし、(前述した部分を改善することを前提として許されるのであれば)おそらく一生ここで骨を埋めることになるのだろうとも考えていました。

ちょうど時期を同じくして、プライベートの方で、そんな状況を大きく変えざるを得ないことが起こっていました。母親が病に倒れたのです。妹が嫁いで父親が早くして亡くなった後は、家には母1人・子1人の状態でした。自分がちょうど仕事が忙しくなった時期と重なり、朝から夜中まで年老いた母親を1人で家に残しておく生活が10年以上続いていました。母親は、しばらく前から体はあちこちがガタが来ていたのですが、その頃には1人で出歩くことができなくなっていました。幸い介護認定がおりたので、(ほとんど費用がかからず)家をすべてバリアフリー仕様に改築したりしましたが、常に1人で暮らしているのですから根本の解決にはなるわけもなく、病状がかなり進行していました。本当に具合が悪くなった時は、一時的に救急病院に運んで(救急車は使えないので、民間救急を頼みました)入院させてもらったりしていましたが、長期的に預かってもらえるわけではないので、病状が落ち着いたら早く連れて帰ってくれと言われていました。家には私以外誰もいないわけで、連れて帰るということは、私が仕事を辞める以外に手はありません… そんな状況で悩んでいた時に、あの震災が起こったのです。
(次回に続く…)

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